衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年12月24日    日曜日     第1 回の開示 合計4084回の開示

漸修と頓悟とは何でしょうか。

悟りを開く前には、漸修の過程が必要であり、この悟り前の漸修は悟り後のそれとは性質を異にする。悟り前の漸修とは三十七道品と菩薩の六波羅蜜を修め、戒・定・慧を実践し、煖・頂・忍・世第一の四善根を具足して初めて大小乗の仏法を頓悟するものである。この理を譬えれば更に明らかになろう。千年の老樹を切り倒すに、太き幹を倒すには道具で少しずつ切り刻む必要あり、この過程こそ漸修に相当す。遂に老樹が一気に倒れる時、これが頓悟に当たる。故に漸修無くして頓悟はあり得ぬ。

木を倒した後の加工——樹皮を剥ぎ、板材に裁断し、磨きをかけ、塗装し蠟を引くなど——は悟り後の漸修に似る。最終的に板材を組み合わせて美しい家具や工芸品とするのは、まさに頓悟成仏の境地である。老樹を切り倒す作業は極めて労力を要し、忍耐と体力、鋭利な工具と優れた技術が必要なり、これこそ見道に必要な資糧に相当す。資糧足らざれば見道叶わず。修行の途上で退転し脱落する者、足踏みする者、方向を転ずる者多し。修行の道は進むほど同行者減じ、初発心は万あれど堅持する者稀なり。成道の者は一あるか否か、故に聖人は鳳凰の羽麒麟の角の如く稀にして貴し。遇うべくんば大切にすべし。

或る者は悟前の漸修と悟後の漸修を混同し、悟前の漸修を否定して修を悟後に属すると見做す。然し漸修を伴わぬ頓悟は解悟ですらなく、全くの妄想推測に過ぎず、毫末の功徳も生ぜず。ただし極大の善根を有する諸地の菩薩は前世の基盤厚く、直ちに頓悟し得る。悟前の漸修こそ凡夫の心性を聖者の心に転換する過程、脱胎換骨の過程、鯉が竜門を跳ぶ前の変容過程なり。此の過程無くして如何にして変容せん。故に真の悟りを判別するには、その心性を観、骨格を見よ。表面の華やかさや弁舌の巧みさに惑わされず、本質を捉うべし。

漸修とは自らの身心を次第に聖賢の身心に近づけるもの。聖賢の基準に達して初めて頓悟見道する。これが心を修める過程なり。心が変わらざれば聖賢の心行に非ず、聖賢足り得ぬ。故に漸修は極めて重要にして、修所成慧を生起させる鍵となる。それ以前は聞所成慧と思所成慧のみで浅く、生死の業障に抗し得ず。修所成慧が具足して初めて証所成慧が生じ、三悪道の業を免れ煩悩を断じ、輪廻の苦より解脱する所以なり。

——生如法師の開示
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禅定が具足して初めて、証悟が可能となります

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