衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年12月15日    金曜日     第2 回の開示 合計4078回の開示

声聞・縁覚は第一義空を見ず

大般涅槃経原文:中道とは仏性と名づく。この義によりて、仏性は常恒にして、変異なし。無明の覆うが故に、諸の衆生をして見ることを得させず。声聞縁覚は一切の空を見て、不空を見ず。乃至一切の無我を見て、我を見ず。この義によりて、第一義空を得ず。第一義空を得ざるが故に、中道を行ぜず。中道なきが故に、仏性を見ず。

釈:中道を仏性と名づく。故に仏性は常恒にして変異なきと説く。無明が心眼を覆っているが故に、諸の衆生は仏性を見ることができない。声聞縁覚の修行は現象界に留まり、現象界を超脱できないため、現象界の一切法が空であることのみを見て、現象界を超えた不空の仏性を見ることができない。声聞縁覚は現象界における一切法の無我のみを見て、現象界を超えた仏性の我を見ず、故に第一義の空を証得できない。第一義空を証得できないが故に、声聞縁覚は中道を行じていない。中道がない故に、中道の仏性を見ない。

仏性の中道性については『楞厳経』における如来蔵の中道性を参照すべし。如来蔵と仏性は共に有法にして、真実に存在し、本体は不空、性質は空なり。衆生は無明により世俗界の現象法に執着し、現象界の背後にある実法真法を探究する智慧がなく、如来蔵と仏性を証得できない。

声聞縁覚にも大乗法の無明があり、現象界の背後にある実法真法を探究せず、如来蔵と仏性を実証できない。現象界の空のみを見て、背後にある真法の不空を見ず、真法の第一義的不空があるが故に現象界の空が存在することを知らない。故に彼らの行いは空に偏り、中道を具えず。その真法こそ衆生の本体・本来の面目、即ち衆生の我(真我)なり。真我より五蘊世間の仮我が派生するも、仮我は我にあらず。故に声聞縁覚の空は究竟ならず、中道にあらず、偏って純粋の空に堕し、空有が円融しない。

——生如法師の開示
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