如来蔵は形も相もなく、肉眼では見ることができないが、心眼・慧眼・法眼・仏眼によって見ることができる。このうち慧眼・法眼・仏眼は総じて心眼と呼ばれ、三種の眼は智慧の差違によって見えるものに極めて大きな違いがある。形も相もない如来蔵の本体をどうして見ることができるのか。如来蔵の体は見ることができないが、非常に多くの運行の行相と機能作用を有している。如来蔵の運行の行相は心行と心所法とも呼ばれ、その機能作用はあらゆる法を成就し、一切の法の相貌を顕現させ、一切の法に相応する機能作用を与えることである。慧眼は法眼や仏眼に比べて智慧が浅く覆い障りがあるため、見える如来蔵の行相は浅く少なく粗略である。法眼が見る如来蔵の行相は広範で深細であり、仏眼は円満無礙で、見るもの全てが如来蔵の全体行相であり、微細にして知らぬ法一つなく、明鏡止水のごとく繊細なものまで洞察し尽くす。
如来蔵の運行する行相は現量によって観察可能であるが、証悟を得ていない者は観察できず、如来蔵の起こす作用を推測するのみで、現前に如来蔵の行相と作用を観ることはできない。この点から完全に、その者が悟りを得ているか否か、真の悟りか偽りの悟りかを判断しうる。如来蔵の機能作用は仏典や祖師大徳の開示から了解し得、想像し得るものであり、推理によっても大略の作用を推論できるが、少し細かく推論するのも難しく、細かな事柄は聞き及ぶだけでは得られず、必ず自ら現量観察して初めて得られる。よって全ての修行者が真の大智慧を獲得し、慧眼と法眼を具えるためには、戒定慧を修行し、刻苦精進し、真実の修証を積み、真の解脱の功徳を受用せねばならない。
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