衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年12月01日    金曜日     第1開示 合計4065開示

八識の行相はすべて現量観察できます

悟りを得た後、特に道種智を有する時には、現量(直接知覚)によって如来蔵の行相(活動様相)を観察でき、七つの識の行相を明確に区別することができるため、七識五陰の中に落ちることはない。例えるなら、赤豆と緑豆が混ざっていても、即座に見分けがつき、境界が明瞭で曖昧さがない。五蘊の身において、どの法の運行を観察する場合でも、即座に如来蔵が如何に運行しているか、六つの識が如何に運行しているかを観察できる。第七識の運行は観察が比較的困難だが、一定の段階に至れば観察可能となるはずである。現量によって八つの識の行相を観察する過程において、第六・第七識の行相は分離できず混同しやすいが、如来蔵の行相は速やかに識別でき、第六・第七識と混同して真実と虚妄が分からなくなることはない。

したがって、如来蔵は現量によって証得可能である。如来蔵の本体は不可視であるが、その行相と機能作用は現量によって観察でき、如来蔵の相(顕現)と用(作用)を通じて、不可視の本体を証得することができる。如来蔵の本体は世俗法の本体と本質的に異なる。世俗法の本体である六塵の境界は、五識によって認識・了別可能であり、意識ではさらに容易に弁別できるが、如来蔵はそうではない。よって如来蔵の行相は非常に微細であり、般若の智慧が不足している時には全く見ることも観察することもできず、それゆえ多くの人々が「如来蔵は単なる名称であり、その本体は空で存在しない」と説くのである。このような見解は甚だしい誤解であり、自身の菩薩道業を大きく遮障し、成仏の期を遠のかせる結果となる。

——生如法師の開示
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八識の行相

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如来蔵の行相を見得るのはどのような眼か

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