衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年11月14日    火曜日     第1 回の開示 合計4048回の開示

いかにして相を見て相を離すか

相を見て相を離れるとは、あらゆる相を見ても心に相を留めず、相を空じて捨て去ることで心が清浄になるというのではありません。世俗の相が自らの心を妨げないよう努め、心が妨げを受けなければ清浄になるのです。これが定を修める方法です。この清浄とは無念想の状態、つまり定境であり、外道たちはこのような定を修め、非想非非想定に至るまで修行を続け、命終すれば天に昇って福を享け、福が尽きれば再び堕ちるのです。

真の離相とは、世俗の相に直面した際、心で相の本質が何であるかを明確に知り、相が私たちに示す表面的な相貌ではなく、その実体が空であることを理解することです。空には二つの意味があります。一つは小乗の苦空無常無我の空、もう一つは如来蔵の空性の空です。このように考えると、証果せず心を明らかにしなければ相を離れることはできず、単に相を避けているに過ぎないことが分かります。仮に避けられたとしても一時的なものであり、長期的に見れば根本的には避けられず、結局は向き合わなければなりません。

如来蔵を証得して初めて、心が徐々に相を離れることができるのです。これは長い過程であり、一朝一夕に成し遂げられるものではありません。この過程が転依のプロセスであり、転依が成就すれば転識成智が起こり、如来の家に入り、唯識の種智を具えます。如来蔵を見るためには、まずその本体・相貌・機能作用を明らかに理解し、疑情を抱いたまま五蘊十八界の法の運行の中で探求し証得しなければなりません。禅参究の過程では当然、五蘊十八界の機能作用が真実ではなく、我ではなく空であることを知り証得することで、初めて五蘊十八界の相を我や真実として執着せず、五蘊十八界を否定できるようになります。仮の法を全て否定した後、真の法に対して疑いを起こし、参究を重ねる中で菩薩の六波羅蜜の因縁が具われば、証悟の可能性が開けるのです。

——生如法師の開示
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