仏が涅槃に臨まれる際に、弟子たちに仏法の修学において必ず四依四不依の法則を厳格に遵守するよう戒められた:法に依って人に依らず、智に依って識に依らず、義に依って語に依らず、了義に依って不了義に依らず。たったこれら四条であるが、実践するのは極めて難しく、大多数の者は達成できない。
その中の「智に依って識に依らず」は、普通の者や一般的な菩薩では到底成し得ない。まずこの「智」は、一般の者が具えることのできるものではない。この智は凡夫の識および地前の賢位・見道の菩薩の識が転化して生じたものであり、転識得智を経た後の智である。それは意識の妙観察智と意根の平等性智であり、唯識種智の智であり、地上の菩薩が有する甚深の大智慧である。仏は衆生に「汝の意は信ずべからず」と戒め、阿羅漢果を証して初めて「汝の意を信ずべし」とされた。
涅槃に臨まれる際にも、必ず地上の菩薩の唯識種智に依り、妙観察智と平等性智に依るよう重ねて戒められた。こうして見ると、世尊の二度の戒めは前後呼応し、首尾一貫しており、大乗・小乗の修学の全てを包含している。
なぜ世尊はこれほど強調し、弟子たちに如此に厳格な要求をされたのか。阿羅漢果を証した者は煩悩を断じ尽くし、一念の無明を断尽し、解脱の智慧が現前する。智慧に覆い障るものがないため、小乗の解脱道の思想観念に等しく、そうして初めて誤りや漏れがなく、その解脱の見地を依止し得るからである。一方、転識得智を成した地上の菩薩も煩悩の障りを断じており、ごく微細な我執が未だ断じ尽くされていないのみで、甚深の妙観察智と平等性智を具え、大乗・小乗の智慧が極めて深く鋭い。見地が透徹しているため、一切の仏法に対する見地を依止し得る。その他の者については、仏は「甚だ汝の意を信ずること勿れ」と言われた。煩悩の障りがあり智慧が欠け、誤りや漏れが甚だしいからである。
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