衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2023年09月27日    水曜日     第1 回の開示 合計4023回の開示

死の真実

心の死と脳死の違いは何か?なぜ首と体が離れた瞬間にもまばたきができるのか?なぜ頭と体が分離した瞬間にも四肢や胴体があると感じ、ただ感覚が制御できないだけだと思うのか?なぜ人は身体の最重要部分を脳と考え、危険を感じると無意識に頭を抱えるのか?

心の死とは心臓と脈拍が止まり、血液が循環せず、呼吸が停止した状態である。脳死とは大脳中枢神経系の反射活動が消失し、眼・耳・鼻・舌・身に全く反応がなく、神経活動が停止し、瞳孔が拡散し光反応がなく、耳鼻舌の検査にも反応せず、筋肉が弛緩し弾力を失い、排泄機能を制御できない状態である。これらの現象は大脳の勝義根が完全に機能を失ったことを示す。心の死が発生しても脳は必ずしも死んでいない。大脳に気血が供給され続け、六塵が勝義根に伝達されれば、微弱な六識が存在し得る。しかし脳死が発生すれば、必ず心の死を伴う。脳死こそ真の死であるが、検査が不十分な場合、未だ死んでいない者を誤って死亡判定する可能性がある。

首と体が分離した瞬間、まだ気血が大脳勝義根に供給され、六塵が勝義根に伝達され続けるため、意根が中枢神経系の活動を制御し、五根六識を指揮できる。故にこの時点ではまだまばたきが可能である。この時六塵情報が勝義根に留まり、身体の情報も勝義根に存在するため、意根意識は習慣的に身体の存在を認識し続け、意根は身体の活動を制御しようとする。制御不能を感知した時、初めて身体が頭部(自己)から離れたことを知る。意根が知る事柄は多く、一部は意根本来の機能によるが、大部分は純粋に経験によるもので、経験を重ねることで生得的に知り得る。しかし意根はこれらの知見を表現できないため、意識はこれを理解しない。無明は、意根に多いのか、それとも意識に多いのか?

自然死ではない場合、最も迅速で苦痛最小の死に方は何か?それは即ち断首である。脳活動に必要な気血は勝義根に残された分のみで、消費し尽くせば即死する。気血が枯渇すれば六塵は勝義根に伝達されず、六識が消滅して苦痛が止み、人は死ぬ。身体の他の部位を切断する場合、脳と心臓から離れるほど気血が脳を供給する時間が長くなり、死に至るまで時間を要する。最も残酷な死に方は凌遅刑であり、急所を避けて斬り続けるため六識が消えず、絶え間なく痛覚を感じ続ける。

最も安楽な死に方は何か?善業福業に支えられ天道に生ずる死は極めて快適である。身心柔軟となり、容貌は生前より麗しく、天界が眼前に現れ、天楽が迎え、天香が部屋に漂う。心に歓喜が生じた瞬間、呼吸が止まり、識神は天界に現前する。さらに安楽な死に方は諸仏菩薩が迎えに来り、中有身が蓮華に乗じて指弾の間に極楽浄土や他仏国土に往生するものである。ただしこれにはより多大な善業福業が必要であり、一般人は修得できない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

なぜ升米の恩が斗米の仇となる現象が起こるのですか?

次の記事 次の記事

なぜ精進すればするほど魔障が現れるのでしょうか

ページのトップへ戻る