衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年09月25日    月曜日     第1 回の開示 合計4021回の開示

意根の情報受容と処理の機能

資料によると、脳は毎秒大量の情報を受け取りますが、そのごく一部しか処理できません。もしすべての情報を処理すれば、脳は過負荷状態に陥ります。正常に機能するため、脳は自動的に情報をフィルタリングし、関心のない些細な情報を無視し、自分にとって有用で重要な情報のみに焦点を当てます。人々の注目点が異なるため、同じ情報から見える現象も異なり、態度や処理方法も変わります。問題に直面した際、要点と主題を記憶し、智慧を高め解決するにはどうすればよいか。それは能動的に脳に問題を提起することです。その問題は核心と要点、解決方法に向けられるべきです。そうすれば脳はその方向に思考を向け、問題を解決します。

脳とは何を指すのでしょうか。世俗の人は脳が色法であり識心の機能を持たないことを理解していません。彼らの言う脳は一般に意根を指します。大量の情報を受け取り選択的に処理するのは意根であって、脳でも意識でもありません。この時点では意識はまだ現れておらず、情報はすべて意根に落ちます。意根は全ての情報に対処する能力も精力もないため、有用で重要な情報を選別し、選択後に初めて意識が現れて意根を補助します。

意根が一切の法を黙って容れる性質と、一切の法に対する主導性がここに見て取れます。一切の法には当然色声香味触の五塵と六塵が含まれます。もし意根が法塵にのみ触れ五塵に触れないなら、五塵の情報はどこに落ちるのでしょうか。誰が受け取り選別するのか。誰が処理方法を決めるのか。意根が五塵を予備選別して初めて五識が生じ、五塵を識別処理します。よって意根は五塵と五識に対して選別処理権を持ちます。

情報を自動的に濾過し、自己に関連する有用情報に自動的に注目するのは意根です。これは大量情報に対する予備選別段階であり、この時点では意識はまだ現れておらず、意根の活動と一切の情報に対し無知無覚です。よって意識は参与・選択・主導権を持たず、意根から与えられた情報を受動的に受け入れ、意根の支配と調整に従います。もし意根が情報を濾過選別しなければ、大量情報に対処できず崩壊さえ招きます。選別後も残る情報は膨大で、全てに対応するのは困難です。これにより意根は同時に極めて多くの法を縁とし、情報に集中できず智慧がないように見えます。

どうすれば意根に智慧を生じさせられるか。もちろん絶えず無用な情報を濾過削減し、ただ現在処理すべき情報にのみ作意し、他を顧みないことです。これにより精力が集中し、作意した情報を智慧的に処理できます。しかし精力集中は容易ではなく、不断の禅定修練によって意根を一法にしっかり定めて思考させる必要があります。

重要情報と主題を記憶し注目考量するのも意根です。これは一切の情報を受け取る主導識の機能作用であり、意根のこれらの機能が作動する時、意識は感知できず参与できません。意根が情報を記憶して初めて、処理方法を考量し、放棄するか深く了別するかを決定します。深く了別しようとするなら六識が現れ情報を了別し、了別後意根が再び処理方法を決定します。ここに見られるように、各段階で決定と主導を行うのは意根であり、具体的な了別分析は六識が行います。六識は意根に従属します。

誰が脳に問題を提起するのか。意識が意根に質問し、意識が意根に大量情報の考量・選択・処理を求め、重点と有用情報に注目させるのです。質問行為は意根にはできません。質問には無言の言語・文字・音声が含まれ、意根はこれに相応しません。意根は意識に暗示を与えるのみで、意識は知らぬ間に指示されます。世俗の人が述べる情報受信処理の脳とは意根を指し、一時的情報保存は勝義根が担います。意根は勝義根中の法に触れ、知り、処理できます。楞厳経に説かれる「意根が黙して一切の法を容れる」性質と意根の広汎な攀縁性が、この資料で充分に明らかにされています。

意根は忙しいのか。受動的に大量情報を受け取るのか、能動的に受け取るのか。能動と受動の両方があります。能動的受取を広汎な攀縁と呼び、受動的受取は業種が熟し如来蔵が現れ伝達せざるを得ないためです。疾病や交通事故などの情報は避けられません。能動的思考は受動的受容より智慧を高めます。では誰が質問し、誰が思考し、誰が問題を解決し、誰が智慧を高めるのか。解決すべき問題を知れば、解決すべき主体がわかります。情報の選別と注目の問題を解決するのは、意根の職責です。

——生如法師の開示
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