答:第一に、如来蔵心は空ではありますが、空性と呼ぶことはできず、空性心と称すべきです。なぜなら如来蔵は心の本体であって、本体の性質を表すものではなく、性質は心体に付属するものであり、本体を説明するために用いられるものであって、実体ではなく、心に依ってこそ心の性質があるのです。
第二に、空性は理体の性質であって実体ではないので、種子を含蔵することはできず、染汚あるいは清浄の業種を含蔵するのは心体です。
第三に、空性であれ心体であれ、染汚の七識の種子を含蔵することはできません。なぜなら七識の種子は識の種子であり、本来清浄なものであり、清浄な如来蔵性であって、決して染汚されることはないからです。正しくは、如来蔵の心体が七識の造業による染汚の種子を含蔵している、と言うべきです。
第四に、如来蔵は受生することができません。如来蔵は七識の染汚の業種を含蔵してはいますが、第七識が業に随って受生するのであり、如来蔵はただ第七識に随い、業種に随って六道の境界と五陰身を変現するだけであり、その後に七識が受生するのです。第七識が受生する時、如来蔵が第七識を抉択して受生させるのであり、如来蔵が配合して業種と七大種子を出力しなければ、第七識は受生することができません。したがって、如来蔵が天上・地下・人間で輪回受生すると言うことはできず、第七識が天上・地下・人間で絶えず輪回受生していると言うべきです。
第五に、如来蔵は受生しないのですから、神様は六道の中で輪回することはありません。六道の境界は如来蔵心体の中に顕現してくる虚相であり、如来蔵は六道の中へ行くのではなく、六道が如来蔵の中で絶えず顕現するのです。如来蔵の体性は来ることも去ることもなく、如如不動であり、一切の法相は如来蔵の中で生滅しており、いずれも如来蔵が現したものです。虚空でさえも如来蔵の中の取るに足らない仮相なのですから、まして六道の境界はなおさらです。それゆえ、如来蔵は受生せず、輪回しないと言うのです。
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