衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年09月12日    火曜日     第1 回の開示 合計4009回の開示

染汚の種子は転換されるのか、それとも滅除されるのかでしょうか。

業行の種子は生住異滅するものであり、相互に転換することはできません。善悪が此消彼長すると言われるものの、善悪業の種子もまた相互転換し得ないのです。染汚の種子とは、染汚の心によって造作された染汚の業行が残した業種子であり、この種子が熟して果実を結ぶと、衆生は悪報を受けます。報いが尽きれば種子は滅除されます。もし染汚業を懺悔し、心が清浄に転じた後は、染汚種子もまた消除され、未来世において悪報を受けないか、あるいは軽減されます。故に染汚の種子は滅除されるのであって、転換されるのではありません。無明が次第に滅除されると、心はますます清浄に転じ、明が漸次に増大し、染汚の種子が消除される量も多くなり、完全に滅尽するに至ります。心が究竟して清浄無余となれば、即ち仏となります。無明が薄れ、明が増すにつれ、心が染汚される現象も次第に減じ、清浄な善業がますます増加し、最終的には清浄な業と清浄種子のみが残り、染汚の業と染汚種子は存在しなくなります。

或る者は「如来蔵に染浄あり、故に識を智に転ずる説がある」と述べます。しかし実際には如来蔵の本体は清浄識であり、ただ第七識が造作する染汚業種を蔵することによって、如来蔵は不垢不浄となるのです。もし如来蔵が第七識の染汚業種を蔵さなければ、如来蔵は即ち清浄なる無垢識となります。如来蔵に染があるなら煩悩染汚業を有することになりますが、如来蔵自体は善業・悪業・無記業を造作せず、第七識が煩悩と染汚を有し、善悪業を造作します。故に第七識が煩悩状態で造作する悪業こそが染汚業となります。如来蔵は第七識の造作した善悪業を蔵した後、染汚の業種を保持することになるのです。


——生如法師の開示
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