衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年09月13日    水曜日     第1 回の開示 合計4010回の開示

如来蔵は六道に受生するのでしょうか?

問:ある人がこう言いました。「本性が清浄なる如来蔵の空性は染汚された七識の種子を蔵しているため、業風に漂って転じ、三界六道において生を受け、あるいは天に生まれ、あるいは地獄に堕ちる。あるいは人間界に生まれ、正法を否定するが故に再び地獄に現れる」と。如来蔵は生を受けることができるのでしょうか?生を受けるということは生滅があるということでしょうか?

答:第一に、如来蔵の心は空ではあるが、これを空性と呼ぶことはできず、空性心と称すべきです。なぜなら如来蔵は心の本体であり、本体の性質を表すものではないからです。性質は心体に付属し、本体を説明するためのものであり、実体ではなく、心によって初めて心の性質が存在するのです。

第二に、空性は理体の性質であり実体ではないため、種子を蔵することはできません。染汚あるいは清浄な業種を蔵するのは心体です。

第三に、空性も心体も染汚された七識の種子を蔵することはありません。七識の種子は識種子であり、本来清浄なる如来蔵性であって、永遠に染汚されることはないからです。正しくは如来蔵の心体が七識の造業による染汚種子を蔵していると言うべきです。

第四に、如来蔵は生を受けることができません。如来蔵が七識の染汚業種を蔵していても、実際に業に随って生を受けるのは第七識であり、如来蔵は第七識と業種に随って六道の境界と五陰身を顕現させ、その後で七識が生を受けるのです。第七識が生を受ける時、如来蔵が第七識に生を受けるよう選択します。如来蔵が業種と七大種子を配合して出力しなければ、第七識は生を受けることができません。したがって如来蔵が天上や地獄や人間界で輪廻転生するという表現は不適切で、第七識が天上・地獄・人間界で絶えず輪廻転生していると説くべきです。

第五に、如来蔵は生を受けないため、六道の中で輪廻することはありません。六道の境界は如来蔵の心体に現れた虚相であり、如来蔵が六道に入るのではなく、六道が如来蔵の中で絶えず顕現しているのです。如来蔵の体性は来も去りもせず、如如として動かず、一切の法相が如来蔵の中で生滅するのも全て如来蔵の現れです。虚空でさえ如来蔵の中の微々たる仮相であるのに、まして六道の境界においてや、ですから如来蔵は生を受けず、輪廻しないと説かれるのです。


——生如法師の開示
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染汚の種子は転換されるのか、それとも滅除されるのかでしょうか。

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仏教の聖者は必ずしも儒教の君子ではない

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