衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年09月09日    土曜日     第1 回の開示 合計4008回の開示

認知症または記憶障害のある人は往生できますか?

老年認知症や記憶喪失を患う者は、業障が比較的重い者であります。主に大脳に障害が生じ、意識の機能を阻害している状態です。しかし普段から念仏を称え、意根を薫習させ、業障を大きく消滅させ、念仏三昧の境地に安住し、常に阿弥陀仏を想起できる者に、どうして認知症や記憶喪失が起こりましょうか。福徳を備え業障の軽い者が、どうして認知症や記憶障礙に陥りましょうか。

認知症や記憶喪失の状態に至れば、最も親しい息子さえ識別できず、自らの姓も忘れた者が、ましてや仏を想起することなどできましょうか。仏と実子を比べれば、どちらがより親しいでしょうか。当然息子の方であります。最も親しい息子さえ思い出せぬ者が、どうして仏を想起できましょうか。老年認知症や記憶喪失を患うということは、心に阿弥陀仏が存在せず、念仏によって業障を消滅させず、念仏が意根に薫習されていない証左であります。もし念仏が意根に薫習され、心が阿弥陀仏に満たされていれば、どうして認知症に陥りましょうか。記憶を失うこともありません。心が仏に満たされ、業障が大きく消滅し、仏力の加護を受ける者が、どうして記憶を失いましょうか。仏を想起できぬ者が、どうして往生できましょうか。たとえ正常な人でも、禅定を得た者でも、往生は必ずしも容易ではありません。往生は証果や開悟に劣らず、非常に困難なことであります。

自ら実際に体験し語り出した教えこそ信頼に足ります。体験せず経文の解釈に依拠し、想像を巡らせただけのものは、いかに保証できましょうか。信頼に値しません。私が浄土や往生を説く場合も、必ず仏経の条項に従わねばなりません。仏経を離れては説けません。私は往生を経験しておらず、具体的な往生の条件を知らないからです。仏経に依拠するほかありません。ただし、私が念仏を称え仏より保証を受けた場合、臨終において如何なる状況でも正念を保ち往生できると確信できれば、その時初めて信頼できるでしょう。それ以外は全て信頼できません。

浄土宗が説法によって人々を往生に導くためには、最も適任なのは浄土宗初祖慧遠大師のみであります。彼が大衆を率いて浄土を修めれば、全ての教法が信受に値し、全ての法門が信頼できます。彼が「このように実践すれば必ず往生できる」「あのように念仏すれば確実に往生できる」と説けば、その言葉は全て信頼できます。他の者の説法は信頼できません。なぜ慧遠大師の言葉が信頼できるのでしょうか。彼は自ら浄土行門を実践し成功したからです。浄土を修める時、常に身心を三昧の境地に置き、阿弥陀仏がその三昧中に数度現れ、極楽浄土の境界も三昧中に幾度も現れました。彼は常に三昧境界に安住し、出定することなく、必ず往生すること疑いありません。

彼の修得した禅定と智慧の経験に基づき、彼が往生の方法を説く言葉こそ確実で信頼できます。彼はその境地に達し、経験を有しているからです。経験なき者の言葉は信頼できません。同様に、明心開悟を説く者も、真実の開悟を経験していなければ、その説く明心開悟は信頼できません。彼らの説く理論は正しいかもしれず、誤りかもしれません。たとえ理論が正しくとも、実際に開悟することはできません。畢竟、自ら経験せず、実践が伴わなければ、説く内容は信頼に値しません。誰であれ教法を弘通するには、必ず自ら修行を経て、その道程を歩んだ者のみが説く内容に信頼が置けます。それ以外は全て信頼できません。浄土を弘める者で、念仏往生に関する些細な経験さえない者が、如何に念仏すれば必ず往生できると説いても、全て信頼できません。仏経こそが最も信頼できるものであり、浄土経典を離れて往生を説くことは、全て妄想と幻想であります。

——生如法師の開示
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