衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年08月30日    水曜日     第1 回の開示 合計4002回の開示

暗唱の原理

楞嚴咒を非常に速い速度で読誦することができれば、基本的に暗誦は困難ではなくなります。これはなぜでしょうか。読誦は意識の機能作用であり、記憶は意根の機能作用だからです。意識が極めて熟練して読誦できるようになれば、意根もそれに従って習染がほぼ完成します。この時、咒文を極めて速く唱えることができれば、意識に雑念や妄想がなくなるだけでなく、意根にも雑念や妄想がなくなり、専一に咒文を習得することができるため、自然に咒文を記憶することができ、意識が熟練して暗誦できるようになり、特別に暗誦の練習をしなくても自然に暗唱できるようになります。

専一とは即ち禅定であり、雑念を除去し、全ての精力を一つの事柄に集中させ、干渉がなければ、その事柄を成就することができます。故に禅定があれば全ての事を成し遂げることができ、智慧も現れます。意根と禅定の二つが和合すれば全ての事を成就し、一切の法の成就は意根と禅定を離れることはできません。従って禅定は主に意根という主将の定を指し、六識という従者は主将に従って進退し定止を共にします。一つの問題に遭遇した時、意根が深く専念して思索し、他の一切の法縁や境界を顧みなければ、定力が急速に増強され、問題の根源に到達し智慧が湧出する可能性があります。

速さによって禅定が生じ、遅さによっても同様に禅定が生じます。ゆっくりと咒文を読誦し、極めて遅い状態に至れば、この時も非常に専一となり、意識に妄念がなく、意根にも妄念がなく、専心して意識の習染を受け入れ、咒文が徐々に意根の心に入り込み、咒文を心に記憶した後、暗誦できるようになります。極めて速く咒文を唱え経典を読むことと、極めて遅く咒文を唱え経典を読むこと、この二つの方法にはそれぞれ利弊があります。速すぎると散乱する可能性があり、遅すぎると昏沈する可能性があるため、随時調整が必要です。二つの方法は適用場面が異なり、どの場面でどの方法を用いるかは、各自が自ら体験し柔軟に掌握してこそ最良の効果を得ることができます。

——生如法師の開示
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