衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年08月03日    木曜日     第1 回の開示 合計3988回の開示

意根を用いて念仏と問題思考を行うと、疲れを感じますか?

念仏する時はただ念じればよいのであり、念仏の種々の功徳や、効果を得るための方法などを頭を悩ませて考える必要はなく、消耗する脳力やエネルギーも比較的少ない。念仏の時間が極端に長くなければ、通常の食事を摂っていれば、疲れを感じることはあまりない。ただし意根念仏を習得し始めた当初は不慣れなため、多少の心遣いが必要であり、やや疲労を感じる。次第に念仏が三昧の境地に入り、禅定が深まると気血の巡りが良くなり、栄養とエネルギーが充足するため、疲労感は消え、むしろ色身が軽安となり精神は愉悦に満たされる。三昧の状態では消耗するエネルギーが極めて少ない。

意根で思考する行為は念仏と異なり、問題を考える際には頭を働かせる必要があるため、脳力とエネルギーを多く消耗する。十分なエネルギー供給がなければ疲労を感じる。参禅時は主に意根による参究思量が行われ、神経システムを動員するためエネルギー消費が多く、非常に疲労を覚える。そのため参禅者の食事量はやや増加し、頭脳労働者の食事量も多めとなる。一定時間ごとに休息を取らなければ疲労が蓄積する。ただし深い禅定に入っている時は気血が充足しているため、エネルギー補給が滞りなく行われ、容易に疲れを感じない。逆に浅い禅定では疲労しやすい。参禅が深い三昧の境地に至ると、気血の巡りが整い身心が軽安愉悦となるため、疲労を感じなくなる。

意根による思量はエネルギーを多く消耗し、意識による思考は比較的エネルギー消費が少ない。意根の思量は大脳神経システムを動員する必要があるためエネルギーを消耗し、疲労感を生じる。全身の神経システムは意根によって制御されており、意識ではこれを動かせない。そのため意識による思惟は比較的負担が軽く、たとえ散漫に様々なことを考えても疲労を感じにくい。多くの人は意識の使用を好み、深い思考参究に踏み込むことを避ける傾向がある。

——生如法師の開示
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