本有とは、無始劫以前より本来存在していたもので、何の理由もなく存在している、すなわち如来蔵における七大種子(地・水・火・風・空・見・識)を指します。これらの種子は不生不滅です。本有の七大種子は、五陰や七識の造作を待たずして天然に存在しており、いかなる理屈もなく、それを生み出す法もなく、滅ぼす法もありません。清浄本然として法界に遍く現れ、熏習を受けず、変異せず、永遠に清浄です。
新熏とは、五陰が生じた後に、七識の業行が現れて落とす種子を指し、業種とも呼ばれます。これは後天的に生じたもので、生滅を繰り返し絶えず変異します。新熏の種子は、後天的に五陰と七識が業行を造作することによって形成され、因縁によって生じた法であり、善・悪・無記(不善不悪)の業種に分けられます。七識が清浄になった後は、造作する業行はすべて清浄な業種となり、悪業の種子がすべて消滅すると、如来蔵において識が智へと転じ、仏道が成就されます。
本有の種子と新熏の種子の関係は、本有の種子が三界に生じて五陰七識や世間の万法を形成し、七識が因縁法を媒介として業行を造作するため、その業行の種子が如来蔵に落ちるというものです。本有の種子がなければ、後天的な新熏の種子は存在しません。心に疑問が生じた時は、問題の中にある概念をはっきりさせさえすれば、問題の半分は解けたも同然です。もし概念の内実がはっきりしていなければ、たとえ他人が答えても、自分は容易に混乱してしまいます。もし概念が不明確であれば、問うている問題そのものが不明確で問題があるため、普通の人には答えにくいのです。もし甲、乙、丙、丁がそれぞれ本有と新熏について異なる理解を持ち、一緒に議論したとして、いったいいつになったらその観念を統一し、共通認識を形成できるというのでしょうか?
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