衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年08月07日    月曜日     第1開示 合計3990開示

意根を用いた問題思考の特徴と利点

難問に対する思考は異なる深さのレベルに分けられる。最も浅いレベルは意識だけの思惟であり、禅定がないため意根は問題に馴染んでおらず、関与することができない。意識の思惟過程には言語・文字・音声が混在し、心の中に思惟の相貌があり、その全過程は観察されやすい。これは意識自身の作用に対する内省である。言語には独り言やジェスチャーなどの身体言語が含まれ、文字には紙に書かれたものや心の中の想像・描写が含まれ、音声には発声された音や無声の心の声が含まれる。この思惟過程では思考を分散させることが可能で、心を専一にする必要がなく禅定も不要である。思惟の結果は意根が承認せず、関与していないため確信が持てず、容易に覆され、実際の対応行動も取られない。

やや深い思考では意根が関与し、浅い禅定がある。意根と意識の二者が共同で思考し、明と暗が互いに補い合い、言語・文字・音声の存在も排除されない。意識は資料や事例の提供、大まかな分析推論を担当し、意根は一部の対象を排して専心あるいは半専心で思考する。意根が思考するため、より多くの精力を一切の法に割けず、必然的に一部の法を捨てることになる。こうして粗浅な禅定が生じ、縁する法と縁しない法は意根が決断し、どの法に縁するかは意根が選択する。意根が思考に関与しなければ、一部の法縁を捨てる決断もなく、粗浅な禅定も生じない。意根が捨てる法が多ければ多いほど禅定は深まり、思考への関与も深まって結果が出やすくなる。

最深層の思考は意根単独の思量である。この時点では禅定がすでに深く、意識の補助や伝導作用は完了している。意根は問題を理解し馴染み、ほとんどの法縁を捨て去って、禅定の中で一心に独自に思考参究する。夢の中でも思量を続け休まず、ひとたび結果が出ると意識が覚醒すると同時に理解し、睡眠にも影響しない。心に禅定が生じれば、たとえ短時間の禅定でも必然的に意根が起動する。一方、ひとたび意根思量のプログラムに入ると往々にして専心状態となり、他の法縁に気を配る余裕がなく、必然的に禅定が現れる。

ここからわかるように、意根は主導識であり、物事を安排決断する存在である。意根が思量すると他のことは安排できなくなり、禅定も必ず到来する。修行過程で禅定があるかどうかは意根次第であり、意根が決定権を持つ。したがって迅速に禅定を修めるには意根を多用すべきであり、意根で思量するには禅定を多く修めるべきである。意根で思考する習慣が身についた者は、今後どんな難問に遭遇しても即座に意根思考モードに入る。意識の導きを必要とせず、注意力が非常に集中し、内心が専注され、言語・文字・音声がなく注意力の集中を妨げない。古来より思想が深遠な者、大いなる智慧を持つ者はすべて、意根で問題を思考する習慣を持つ者ばかりである。

意根で問題を思考する利点は、一歩到位し核心問題を直接解決できることである。疑念がなく葛藤も不要で、後悔せず内心が愉悦である。意識思考よりも透徹し、究極的で、徹底的で、深遠で、より智慧的である。心からの認容度が高く、より確固としており、永遠に結果と相応する。わざわざ記憶暗記する労力も不要である。一方、意識思考で得た結果は後で忘れやすく、思い出せなくなりやすい。

——生如法師の開示
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