衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年07月28日    金曜日     第1開示 合計3985開示

身体の気脈の問題にどう向き合うべきか

気脈が頭部に滞り、頭痛・歯痛・眼痛を引き起こす場合、どのように解決すべきでしょうか。

耀霊(ようれい)のご回答:気がどうしても沈静化しない場合は、注意をみぞおちに集中させるか、あるいは背中の命門(腰椎の中央)に置き、腰椎部分の白骨を観想してください。もしくは左足の親指に注意を向けるのもよいでしょう。実際に白骨観を正しく行えば、心は自然にリラックスし、気は必ず沈静化します。その後は「凡そ所有の相は、皆是れ虚妄なり」という正念のみを守り、その他一切の対象に固執せず、自然に万縁を放下して一念も生じなければ、気脈は速やかに通じます。この身体を完全に放下するとき、それは急速に自然治癒するでしょう。

「身体を少しでも楽にしたい」というような欲念が存在するならば、それは身体の感覚に攀縁(はんえん)し、分別し、執取している証拠です。なすべきことは「凡そ所有の相は、皆是れ虚妄なり」と観じ、この身体の感覚が空(くう)で得られないことを悟り、その後身体の感覚を放下し、再びそれに攀縁・分別せず、心を身体の感覚に貼り付けないことです。これが身体の感覚を放下するという意味です。同様に、外界の音声などあらゆる境界に対しても、心をそれに貼り付けずに放下します。この時、自らの心は明らかであり、これらの境界相に貼り付いて分別を起こしていないことを自覚しています。こうして気は速やかに沈静化し、身体は急速に水火相済(すいかそうさい)の状態へ至るでしょう。

もちろん、不浄観と白骨観を省略しないことが最善です。さもなければ、周囲の人々を実体ある存在と執着し、その者への攀縁を放下することは不可能です。心が元に帰り気が元に帰るためには、いかなる境界も実体と執着すれば、それは魔障となり帰元を阻みます。ゆえに「諸法無我」を観じて顛倒した執着を破砕しなければなりません。

——生如法師の開示
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