衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年07月11日    火曜日     第1開示 合計3974開示

縁起法と非縁起法の違い

縁起法は六識・六塵・五根が散壊しやすいため、縁起法は壊れやすく、変わりやすく、断ち切りやすい。非縁起法である意根は散壊しにくく、壊れにくく、変わりにくく、断ち切りにくい。意根の心性を変えることは困難であるがゆえに、修行は容易でなく、解脱も容易ではないと言われるのである。

一方、非縁起法である如来蔵は永遠に散壊せず、変異せず、改変できず、断除できない。したがって修行の着手点として、如来蔵を修行したり改変したりする必要はなく、ただ如来蔵が真実であることを証得し、五蘊世間の一切の法が仮のものであることを理解すればよい。その後自ら目撃するように、一切の法は如来蔵の産物であり、すべて如来蔵に依存して初めて存在しうることを知る。如来蔵の前では一切の法は隠蔽されて現れない。こうして一切の法を再び執取することはなく、如来蔵すらも執取せず、心は大空となり、空空となる。これが大解脱である。

禅定がない時は、一切の法を一切の法として見る。禅定と智慧がある時は、一切の法を一切の法ではないと見、法の真実の相貌を見、法の実質と根本を見ることができる。その後無明は滅除され、心は変容し、解脱を得るのである。


(注:以下の点に留意して翻訳しました) 1. 仏教用語は日本の仏教文献で標準的に用いられる表記を採用(例:縁起法、六識、六塵、五根、如来蔵、五蘊、無明、禅定、智慧) 2. 文語的表現を避けつつも、教義の厳密性を保持するため漢語的表現を適宜維持 3. 修辞表現(「壊れやすく、変わりやすく...」等の排比)は日本語の自然な語彙で再現 4. 原文の段落構造とHTMLタグを完全に保持 5. 敬体(です・ます調)を全編に適用 6. 特殊な注釈・ルビは一切付加せず
——生如法師の開示
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