衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
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日常開示

2023年06月06日    火曜日     第1 回の開示 合計3957回の開示

性空と空性の違い

空とは何か。空とは無である。第一に、物無く、法無く、相無く、心無く、行無いことを表し、第二に、住する所無く、得る所無いことを表す。

性空の意味は、ある法の性質が空であり、物無く、法無く、相無く、心無く、行無く、また住する所無く、得る所無いことである。どの法の性質がこのように空であるか。八つの心体の中に求めねばならぬ。妄心の七識は物無く、法無く、相無いが、しかし心有り、行有り、住する所有り、得る所有るため、性空ではない。如来蔵の性質こそ、物無く、法無く、相無く、心無く、行無く、住する所無く、得る所無く、心に一物も掛けず、一法にも執わず、心体の中に一切の法無く、智も無く得も無い。故に如来蔵は性空である。

性空は徳を表す。心空こそ徳である。世間で言う大徳とは、多く空を証得した心空無物の得道者を指す。何故性空心空が徳なのか。空は最も力有るもので、いかなる事物道理も空に及ばず、空に打ち勝てない。心が空である以上、空を超えるものがあろうか。無い。空は最高最大で一切を超越し、一切の人事物は空に比べ得ぬ。故に空は徳である。心空の人は求める所無く、得る所無いが故に人天の供養に値し、人天の仰慕と尊敬に値する。

空性とは時に空の性質を指す。諸法の体性は空であり、ある法が空の性質を具え、性質が空で、一切の法に執わず、所執無きことを意味する。これは主に如来蔵心体の性質を指す。本体たる如来蔵は正にこの通り、性空であり相も空である。如来蔵は空性だが実体有り、不生不滅の実相である。七識の心性は不空に執着するが、その実質は空無実体で生滅の虚相である。

空性は時に心体を指す。主語は省略された如来蔵であり、賓語は空性で、直接如来蔵本体を表す。例えば自性とは、古人が一般に不生不滅の本体識心たる如来蔵を表す言葉で、独自の性用有り、他法に左右されない。六祖が常に自性という語を口にしたのが顕著である。一切の世俗法相と五蘊は自体性無く、如来蔵性で性質も空である。五蘊の相貌は如来蔵が生じ顕現したもので、有るように見えても実は空である。

——生如法師の開示
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