衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年05月13日    土曜日     第1 回の開示 合計3936回の開示

諸法はなぜ因縁性でも自然性でもないのか

宇宙器世間は諸法の一部である。宇宙器世間が最初に生起した時、いかなる因縁または助縁が宇宙器世間の出現を促したのであろうか。存在しない。器世間の生起を助けることのできる法は見当たらない。例えば地球が徐々に形成される過程において、形成以前には地球を形成する助縁となり得る法は存在せず、地球形成の過程においても同様に地球形成を助ける法は存在しない。故に地球の出現は因縁性ではなく、宇宙器世間の形成もまた因縁性ではない。

では宇宙器世間の形成は自然性と言えるだろうか。自然性の概念定義を考察する必要がある。いわゆる自然性とは自ずから然りとして存在し、外的要因の影響を受けず、常住不変で不生不滅を指す。例えば地球の存在は本来自然に存在すべきものであり、過去に存在せずある時点から漸次形成されたものではあるべきではない。後天的に形成されたものは自然ではなく、形成後しばらくして徐々に退化し消滅するのも同様に自然ではない。同様に宇宙器世間にも始まりと終わりがあり、生滅があり、来去がある。それゆえ自然性とは言えない。

以上により、宇宙器世間は因縁性でも自然性でもない。では何性か。全て如来蔵性である。器世間の生滅、生住異滅は全て如来蔵によるものであり、如来蔵の七大種子によって形成される。生は如来蔵が生じ、住は如来蔵が執持し、異は如来蔵が変じ、滅は如来蔵の種子が退く。故に宇宙器世間を含む諸法は全て如来蔵の特性なのである。

——生如法師の開示
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