修行の一歩一歩には非常に多くの福徳の支えが必要であり、福を積むことは衆生を離れては成り立ちません。衆生を離れれば福を得ることはできず、仏道を成就するにも極めて多くの衆生の支持と護持が必要です。衆生を離れれば仏となることも叶わないため、多くの衆生と善縁を結ぶことが非常に重要です。では、如何にして最大限に衆生と善縁を結ぶことができるでしょうか。色身が実際に衆生と縁を結ぶことは非常に限られており、接触範囲も狭いものです。しかし心念において衆生と結ぶ縁は数多く速やかであり、福徳を積むことも多く大きく、色身の制約を受けません。
衆生と最大限に縁を結び福徳資糧を積むには二つの方法があります。第一の方法は回向です。華厳経で普皆回向と説かれるように、自らが修めた一切の善法と功徳を法界の一切衆生に回向します。三界六道、二十五有、胎卵湿化、蜎飛蠕動、一切の有情含霊に至るまで。回向の原則は毎日回向するか、あるいはその都度修めた不定の善法を速やかに回向することです。こうして回向された衆生は善法功徳を得、加持を受け、自らと善縁を結びます。それにより自らは衆生と善縁を結ぶだけでなく、衆生を助けることで得られる福徳と功徳も得ます。このように縁と福徳を絶えず積み重ねることで、修行の資糧は次第に増大し、修行の道はますます順調に進むのです。故に自らの道業のために、日々回向し、定期的に回向し、菩薩道を多く行い、衆生を多く利益し、衆生と共に仏道を成じようと発願すべきです。
第二の方法は鬼神などの陰界衆生への施食です。鬼神道の衆生は極めて多く、虚空界に遍満し、十方世界に広がっています。心念力が十方世界に届けば、十方世界の鬼神は皆利益を得、縁を結ぶことができます。心念力を強くするには、定力と観想力を強化すると同時に、慈悲心と願いを顕現させなければなりません。そうすれば摂受する衆生は多く広くなり、善縁が増えることで福徳は次第に広大となります。
施食の具体的な作法は以前に述べましたが、ここで簡単に補足します。通常寺院の施食儀軌はやや複雑ですが、実際には簡略化できます。生または炊いた七粒の米、あるいはそれに相当する量の飲食を適当な空間のある場所に置き、次のように唱えます。「汝等鬼神衆、我今汝に供を施す、此の食十方に遍し、一切の鬼神共にせん」。唱え終わったら施食の呪文を七遍唱えます。「オン、ムリリンソワカ」。その後指を三度鳴らせば、鬼神は飲食を受用できます。印を結ぶ必要も、鬼神を召請する必要もなく、飲食が自動的に十方界の鬼神の前に届くため、鬼神の煩わしさや束縛を受けることはありません。
ここで最も重要なのは呪文を七遍唱える際の観想です。観想が適切であれば飲食は殊勝微妙となり、十方に遍満して一切の鬼神が食を得られます。観想の方法は、まず「此の食十方に遍す」の意味を理解することです。十方とは娑婆世界を中心とした十方の虚空世界を指し、布施する飲食がこれらの処所に遍満するようにします。娑婆世界一つの三千大千世界の処所だけでも無量無辺で、十億の南贍部洲・北倶盧洲・西牛賀洲・東勝神州、十億の四大海・七金山・地獄・須弥山・月宮・日宮、さらに十億の四天王天・忉利天・焔摩天・兜率天・化楽天・他化自在天、そして色界の初禅天から二禅天を経て非想非非想天に至るまでを含みます。十方世界には娑婆世界のような仏国土が無量無辺存在します。もし飲食をこれほどの世界の虚空に観想できれば、鬼神は皆受用を得られ、その福徳は実に甚大で、衆生縁は極めて広大となります。
では如何にして全てを観想できるのでしょうか。これは少しずつ観想力を訓練する必要があります。呪文を七遍唱える際、心の観想を区県の範囲から次第に拡大します。拡大の範囲は観想力次第で、呪文が止まれば観想も止まります。一般的に鬼神が遊行する処所は河辺・山麓・森林周辺・十字路・平原・山川・虚空などです。飲食をこれらの処所に観想し、心の念いが速やかにこれらの処所を閃かせれば、飲食は自然にそこに現れます。
観想が未熟な時は呪文をゆっくり唱え、定力に従って次第に処所を増やします。近隣の区県から市・省、全国、全世界、四大洲・須弥山下の四大海、千の小世界、三千大千世界を経て、最終的に十方世界に至ります。最初は観想力が不足するため省市全国の虚空山河大地までで構いません。観想力が向上すれば次第に範囲を拡大し、十方世界の虚空に至るまで観想します。飲食については可能な限り精美に観想しますが、自身の能力に応じて行い、観想力を養う最良の道とします。
観想は仏法修行において極めて重要です。最終的な仏法の成就は、その多くが観想にかかっています。十方世界は妄想によって現出したものですが、どうしてこの「想い」を活用して世界をより完璧にしないのでしょうか。実際に戒を受ける際にも観想を用います。例えば梵網経菩薩戒の三翻羯磨の時、三度にわたり仏菩薩が光明を放ち照らす様を観想します。仏光が頭頂から全身に注ぎ込むのを観想成就すれば、諸仏菩薩の加持を得て菩薩戒体を授かり、以後は戒体が身を護り、非行を防ぎ悪を止め、犯戒の因縁が現れても速やかに回避し菩薩戒を犯さず、戒体を保全します。これにより修行に遮障がなくなり、順調に速やかに進みます。また円覚経で仏が説かれた三摩鉢底も、観想によって仏法を成就する方法です。要するに、修行は観想を離れては成り立たないのです。
43
+1