衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年02月11日    月曜日     第4 回の開示 合計1250回の開示

初地菩薩が阿羅漢のように永く性障を伏せるとはどういう意味でしょうか

性とは衆生の本性を指し、衆生の根本的な本性は意根の心性、即ち意根の心所法であります。まさに意根の心性が不善であるが故に、常に衆生が無上菩提を証得することを遮障しております。故に意根の心性の障礙を消除してこそ、仏道を成就することができるのであります。

初地の菩薩は意根の全ての煩悩習気を徐々に断除し始めますが、完全に断尽することは叶いません。完全に断尽できない状況においては、三界の生死に関わる性障を降伏させる必要がございます。他方、意根の煩悩現行を完全に断尽すれば、四果阿羅漢のように人我執着を断尽し、無余涅槃に入り、仏道を成就できなくなります。仏は初地から七地の菩薩に解脱道の正位に入らず、即ち四果阿羅漢の果位を取らず、過って無余涅槃に入ることを防がれるのであります。

故に初地の菩薩は微少な貪愛を残し、三界世間に再生できるよう保たねばなりません。ただし深刻な貪愛を残すことは許されず、禅定などへの軽微な貪愛を僅かに留めるに止めます。大乗法への貪愛も許容され、これは永遠に意根の貪を圧伏するものであり、完全に断尽するものではありません。これにより生生世世自利利他を成し遂げ、成仏するまで無余涅槃に入らないのであります。

——生如法師の開示
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