衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年10月08日    月曜日     第4開示 合計895開示

戒定慧具足してこそ「桶底脱落」

過去の参禅人は、参究して第八識を見出し悟道すると、それを「桶底脱落」と言った。桶とは何か。『楞厳経』の中で仏は人の身体を肉の桶に譬え、その形はまるで桶のようであると説いた。そして衆生とは、この肉の桶を自分であるとし、真実に存在する滅びない我であると見做しているのである。

参禅人が第八識を悟得するとき、第八識は真実であり、永遠に消失することなく、真の自己であることを知る。五蘊の身はただ第八識が変現した仮の殻に過ぎず、真実ではなく、我ではない。しかし、第八識という我と異なるわけでもない。こうして彼は五蘊を我と認めることをやめ、五蘊の身という肉の桶を否定し、五蘊の重荷を卸す。このとき身心ともに空となり、軽安この上ない。これを「桶底脱落」に譬えるのである。

桶底脱落の前提条件は、戒定慧が具足していること、福德が具足していること、菩薩の六度も修め終えていること、入道の資糧もすでに具足していることであり、時節因縁の成熟したときに初めて桶底脱落が成るのである。このとき同時に小乗の初果を証し、三縛結を断じて、永く三悪道に堕ちることがなくなる。

なぜなら、小乗の初果とは五蘊十八界が苦・空・無常・無我であることを証すものであり、第八識を悟得するとき、五蘊十八界が我ではなく、虚妄で、空幻で、真実でないことを知るからである。それゆえ、大乗の果を証得すると同時に小乗の果も証得するが、小乗の果を証得したからといって必ずしも大乗の果を証得できるとは限らない。これこそが、大乗の法が小乗の法を包含するという道理である。

——生如法師の開示
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意根の差別こそが意識の差別を生じさせたのである

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『父子合集経選講』

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