衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年01月03日    火曜日     第2 回の開示 合計3798回の開示

いかにして意根の機能作用を如実に理解するか

なぜ一部の人々は第七識である意根が何もできないと考えがちなのでしょうか。それは大多数の人々が表面的な意識の機能作用しか認識できず、意根の機能作用を見ることができないためです。そのため五蘊のすべての機能作用を意識のものと見做し、意根が主導する識としての機能を軽視し否定してしまうのです。彼らは意根が一切法の先導者であり、一切法が現れ、意識が接触・了別・処理できるのは全て意根の選択による結果であることを理解していません。意根は五陰身の家長なのです。

もし何もできない無能な者が家長となったら、その家庭がどうなるかは想像に難くありません。しかし世の中には多くの福徳と智慧を備えた人々が存在し、五陰身が数多くの善業と智慧の業を成し遂げるのは、全て意根が主導した結果です。畜生道の衆生でさえ、その意根の機能作用は六識の及ぶところではありません。大小さまざまな組織において、部下が指導者の指示に従うのはなぜでしょうか。権力以外に理由がないのでしょうか。もし指導者が無能で何の価値もないのに部下が唯々諾々と従うなら、その部下はさらに無能だとは言えないでしょうか。

国家元首は部下のように具体的な業務や技能に精通することはできず、部下の仕事を代行することもできません。彼は高所から全体を統括する立場にあり、具体的な業務に携わることはないのです。元首が直接民衆に対応せず、具体的な仕事をせず、技術に精通していないからといって、仕事をしていないとは言えません。指導者として全体を掌握し、配置を整え、部下との役割分担を明確にし、協調して初めて国家を適切に運営できるのです。

五陰身も同様で、意根は高所に立って全体を統括します。意識のように細部にわたって塵境を了別し、思考・推理・整理・帰納・統計・分析・推敲を緻密に行うことはできません。その精力が許さないためです。禅定がある程度達せられ、多くの不要な事柄を排除し、精力を集中させてエネルギーを高めなければ、六識の仕事を代行して六識を廃することはできません。凡夫の意根は六識を使って具体的な事柄を処理し、塵境に対応させるほかなく、そうでなければ六識の存在意義も失われてしまいます。

意根は恒常的に思考を巡らせる識心であり、休みなく働き続けます。それなのに、なぜ人々は意根を無価値で無用な存在だと考えるのでしょうか。意識を重要視し意根を軽視する人々は、真の指導者と決定権を持つ存在を認識できず、どちらの仕事がより重要かを理解していないのです。指導者が深く隠れているため、その存在を見たことがない人々は指導者不在と思い込むか、従業員こそ指導者だと錯覚します。技術を知らない指導者が技術者から提案されたプロジェクトを審査・承認し、実験過程や結果を理解できなくとも、意根こそが決断を下す指導者であり、意識は技術サービスを提供する技術者なのです。意識の補佐があれば、意根が全てを自ら行う必要はありません。

——生如法師の開示
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