原文:この中において、観察作意によって、一切の修道において数数観察し、已に断じたるものと未だ断ぜざるものとを、得たる道の如く正しく修習すべきことを知るべし。またここにおいて、何を修の自性と名づくべきか。何を修の業と名づくべきか。何を修の品類差別と名づくべきか。定地作意によって、世間出世間の善なる有為法を修習増長し、無間に行い、殷重に行い、心相続してその体性に会することを、これ修の自性と名づく。
釈:修道の過程において、観察作意があるが故に、一切の修道過程において繰り返し観察し、既に断じた煩悩と未だ断じていない煩悩とを、得るべき道の如く正しく修習する。四聖諦を修習する過程において、何を修自性と称するか。何を修業と称するか。何を修品類差別と称するか。禅定において作意を修し、世間出世間の善なる有為法に対し、絶え間なく修習し、精進して修習し、無間に行い、精勤して善を修め、心を相続して善法に住ましめ、心が善の体性と合致することを、これ修の自性と称するのである。
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