衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年01月03日    火曜日     第1 回の開示 合計3797回の開示

瑜伽師地論 第三十四巻(七十四)

原文:謂く、若し境界を行ずるに、能く上品猛利なる煩悩纏に随順する処に於いて、失念の故を以て、暫く微劣なる諸の煩悩纏を起こすとも、尋いで能く作意し、速やかに疾く除遣す。唯一度この世間に来生し、便能く究竟に苦の边际を作し、不還果及び不還相を得ん。前に説ける如し。

釈:二果の人が境界に直面する際、欲界の上品で甚だ猛烈な煩悩の纏縛に順じ得る所において、失念の故に微劣なる諸煩悩の纏縛が一時的に生起しても、直ちに作意を起こし、速やかに煩悩の纏縛を除去する。その後再びこの世に生を受けるもただ一度のみで、究竟なる苦の边际に至り、三果である不還果及び不還の功徳相を証得する。先に述べた通りである。

初果の見道所断の煩悩は欲界の下品煩悩であり、これは欲界衆生の煩悩中最も粗重なる部分で、人間と三悪道の衆生が有する煩悩である。天界の衆生には粗重な煩悩はなく、中品と上品の煩悩を有する。人間もまた中品と上品の煩悩を有する。もし欲界衆生の煩悩を喜ばず随順しなければ、欲界の中品と上品の煩悩を断除し、二果を証得する。欲界の上中下三品の煩悩を断除すれば、欲界の貪りを遠離し、初禅定を出生して三果を証得する。

故に初果は見道を証し、二果と三果は修道を開始する。修道所断の煩悩は初果より微細で断じ難く、一旦断除すれば智慧は増進する。初果から四果に至る修道は煩悩を断除することを要し、禅定と煩悩の程度によって果位と智慧の次元を画する。よって修習理論の究極的かつ根本的な目的は煩悩を断除し、身口意の行いを清浄にすることにある。若しこれを為さず、ただ理論を重んずるならば、これを修道とは称さない。

——生如法師の開示
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