衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年01月02日    月曜日     第2開示 合計3796開示

意根の種々なる思念と情緒は六識によって表される

現代社会では多くの人々が抑うつ的な心理状態にあり、中学生までもがうつ病を発症するケースが見られます。この問題の大部分は業力の問題に属し、一部は個人の因縁の問題です。抑うつの主な症状は、心が閉ざされ、他者との交流がなく、内心の考えを表現するのが苦手で、気分が沈んで明るさを欠くことです。このような心理状態において、意識は往々にして理由もなく、なぜ気分が沈んでいるのか自覚できません。これは意根の心境が円滑でないことに起因しています。

意根に思想や感情が発散できず、自分の考えや観念を理解してくれる人がおらず、誰に話しかけ助けを求めればよいかさえ分からないため、誰も導いてくれないのです。同時に、自身の意識ともコミュニケーションが取れず、意識が理解しないため問題が解決できず、意根が抑うつ状態を引き起こします。多くの人々の根本原因は業力の問題、つまり意根が過去世で経験した出来事や造った業行がもたらすべき果報です。

一方、個人の因縁の問題とは、心に抱いた願いが達成できないと抑うつ状態になり、環境が自身の心理的ニーズを満たせないと抑うつ状態になることです。抑うつ状態の人々に普遍的に見られる特徴は、考えることが多く行動が少ないため、考えが実現できず心理的満足が得られず、考えが蓄積されすぎて負担となり、抑うつ状態が生じることです。抑うつは「鬱々として志を得ず」とも呼ばれ、様々な欲望があるにもかかわらず満たされず、気分の落ち込みや抑圧感・沈滞感を引き起こします。

中には内心で「六神主無し(どうしてよいか分からず)」や「生きる気力がわかない」という考えが浮かぶ人もいます。これも意根の感情が主導して生み出したものであり、意識が表しているのはまさに意根の心の動きです。「六神主無し」とは六識が何をすべきか分からず、どう行動すべきか分からない状態です。意根が決断できずに迷い、決して決定を下そうとしないため、六識はおののくのです。六識が意根の思想や感情を表現し反応することが、すなわち六識の慌てふためきであり、主体性がなく帰属感がないため、退屈に感じられ生きることを望まなくなるのです。

感情が高ぶると心拍数が上がるのも、同様に意根の感情が原因です。例えば「怒りが心頭から起こり、悪が胆の辺に生ず」とは、意根が怒り悪意を生じた様子を表しています。心臓や胆嚢、五臓六腑は全て意根が脳神経システムを通じて動かしており、色身全体が意根の脳神経システムによる支配下にあります。意根は全身を制御し、全身の活動を導くことができるのです。一方、意識は怒っていても意根が怒っていない場合は仮の怒りであり、どんなに怒っても心に反応がなく、行動にも現れません。あるいは行動があっても見せかけだけです。真に怒りが生じた時には、行動の造作や身心状態に変化が生じます。これこそが意根の感情なのです。

——生如法師の開示
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