原文:諸聖諦に対する現観を成就した後、見道によって断ずべき一切の煩悩を永遠に断じ尽くすに至るまでを、遠離作意と名付く。さらにこの後、修によって断ずべき惑を進んで断ぜんがために、得たる道の如く、重ねて数数修習し、欲界の上品・中品の諸煩悩を永遠に断じ尽くした後に、一来果を得る。預流果の所有する諸相の如く、今ここにおいてもまた同様であると知るべし。然れども少々の差異あり。
解釈:四聖諦に対する現観を成就した後、見道によって断ずべき一切の煩悩を永遠に断じ尽くすまでを「遠離作意」と称する。これは初果(預流果)の境地であり、欲界の下品の煩悩を断除するものである。さらにその後、修道によって断ずべき煩悩の惑を更に断じようと志し、証得した初果(我見を断じた)の基礎の上に立って、一層精勤して修習を重ね、欲界の上品及び中品の煩悩を永遠に断じ尽くした後に、第二果である一来果を証得する。初果を証得した者が有する功徳と同様に、二果の聖者(一来果)が有する功徳もまたこれと同様であるが、しかしながらその中には若干の差異が存在する。
0
+1