衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2022年12月31日    土曜日     第1 回の開示 合計3793回の開示

瑜伽師地論第三十四巻(七十二)

原文:終に外道を求めて師とせず。また彼に福田の想いを起こさず。他の沙門や婆羅門等に対し、終に口や顔面を観瞻せず。ただ自ら法を見て法を得、法を知り法を得、法の源底を証する。疑惑を越え度し、他縁によらず。大師の教えにおいて、他に引かれることなく。諸法の中に於いて無所畏を得る。終に世の瑞兆吉祥を妄りに計って清浄と為さず。終に第八の有生を受けることなく、四種の証浄を具足成就す。かくの如き行者は、世第一法に至る以前に、勝解作意と名づく。

釈:終に外道に帰依して師とせず、外道を福田と認めず、他の沙門や婆羅門等に対し、永遠に彼らの顔を仰ぎ見ず、その言葉を重んじず、彼らの口から法を得るのでなく、ただ独り法を見て法を得る。独り法を見て法を得、法の根本を証得し、全ての疑惑を解く。外縁によるものではない。法の根源を証得するは世尊善知識の教導によるもので、世尊以外の他処から来たものではない。行者は諸法に於いて畏れることなく、終に虚妄に世俗の瑞兆や吉祥を清浄と執着せず、再び第八度の三界受生を受けることなく、四種の証得清浄智を具足成就する。かくの如き行者は、世第一法を修する以前、皆勝解作意と称される。

行者が四智現観を得た後、四加行を修習し、第四加行の世第一法以前の観行を全て勝解作意と謂う。現量実証以前の思考参究は、皆法に対する勝解と悟りとすべきで、勝解して初めて現量観察を得、実証と名づく。実証は初果位以上にあり、勝解は初果向あるいは四加行の世第一法位にあり、四加行を経て初めて実証見道する。故に己が智慧が現量観察智か、勝解か、推測分析かを如実に観察し、自らの智慧の層次を知りてこそ、次の修行を計画し得る。

現観四智を具える行者は、決して他処から法を得ず、他人の説くを究竟の帰依処とせず、全て自らの現量観察に依って実証する。法を見て得ることは自力の参究観行による他、他人の助力は及ばず、他人の指導も自らの現量観行に代わり得ない。疑惑は自らの観行によって解決すべきで、他人の言葉は内心の疑惑を解けず、自ら見証せざるが故なり。修行の成果を他から得んとする者あるも、仏法は修する者自らが得るもので、他から得たるものは自らの物とならず、見道の智慧も得られない。瑜伽師地論を指針とし法理次第に明らかになり、証果明心の事に至っては、誰が認めざるも仕方なく、さもなくば弥勒菩薩に尋ね説くべきなり。

——生如法師の開示
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