衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2022年11月29日    火曜日     第2 回の開示 合計3772回の開示

意根が言語文字と相応しないとはどういう意味ですか

意根が文字言語に相応しないとは、意根が自らの思想・観念・見解を文字言語で表現できないことを意味します。ただし意根は文字言語を理解できないわけではなく、全局を統括する主導識としての立場から、六識を指揮調達する権能を有しています。言葉を発することや文字で表現することはできなくとも、意識に言葉を発させ、文字表現を行わせることが可能です。多くの遂行困難な事柄も六識の協力を得て達成されます。例えるなら大統領が限られた精力で国家全体を統轄する際、市場調査や統計分析などの具体的事務に直接携わらず、部下に任命して遂行させるようなものです。意根は全局を統括する必要があるため、具体的業務を自ら処理できず、五俱意識や独頭意識を用いて瑣末な事務を処理し、報告を受けるに留まります。報告を聴取する過程で思心所・慧心所・勝解心所を運用して判断と決断を下し、その後命令を発して六識に指示通り問題解決を図らせます。

意根は暗唖者に喩えられ、言葉を発せずとも人の話を理解できます。第八識も同様に言葉を発することはできず、文字言語に通じませんが、独特の了別方式を有し、七識とは異なる特殊な情報を了別します。意根の思惟作用は意識の思惟に劣らず、仮に大統領が時間と精力を割いて市場調査に専念すれば、部下を上回る成果を上げ得るかもしれませんが、ただ時間的余裕がないだけです。意根が六識に代わって活動すれば六識を凌駕し得ますが、現状は精力が不足しているに過ぎません。故に修定に修定を重ね、意根に時間と精力の余裕を創出し、専注を極める必要があります。これにより意根の大智慧が顕現するのです。

意根を一つの識、あるいは一個人と見做せば、その体性と心所法を理解し得ます。意識と五識は意根に奉仕する存在であり、意根の智慧が充分であれば、六識の如何なる所業も意根は明瞭に把握できます。意根の智慧が不足し勝解力も弱い場合、誤解が生じたり六識の作法を理解できず、その所為を明らかに認識できません。もし意識が適切に表現できず、或いは不明瞭な表現に終始すれば、意根も充分に理解できず、意識の心思を了知し得ないのです。

——生如法師の開示
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