衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2022年11月29日    火曜日     第1 回の開示 合計3771回の開示

瑜伽師地論 第三十四巻(六十)

原文:この因縁によって。涅槃に対し深く心に願い楽しまんとすれども。しかるに心は彼に趣入すること能わず。彼は既に了知す。かくの如き我慢は障碍なりと。すみやかに速疾に慧をもって通達し。棄捨して任運に随い転じ作意す。一切の外所知境を制伏し。趣入作意に随い作意行じ。専精無間にして聖諦を観察す。随って生起する心の謝滅する時。無間に生心して作意観察す。方便流注して間断あることなし。彼は既にこの如く心を以て心に縁り。専精にして替えることなく。すなわち能く彼の随入作意を令せしむ。障碍現観の粗品我慢は容れて生ずることを得ず。

釈:行者がこれらの観念を心中に有するが故に、涅槃に対し深く心に愛楽すれども、しかるに心は涅槃に趣入すること能わざるなり、粗重なる我慢に遮障作用あるが故なり。行者は上記の如き我慢が涅槃趣入の障碍なりと了知する已後、すみやかに智慧をもって通達し、以て我慢の遮障を去除し、便ち従前の任心随意より出生する我慢を捨て、その後作意を運転し、心の触るる一切の外境を制伏し、観行作意に転入し、作意に随って転じ、一心精勤にして間断なく四聖諦を観察す。生起する所の我慢心の滅するに随い、心は無間断の作意観察上に生起し、心識は間断なく四聖諦観察中に流注す。行者はこの如く智慧心を以て無間作意に縁り、専心精進にして他顧する所なく、四聖諦作意に浸染するに及び、かくの如く現量観行を障碍する粗重我慢は機会を生ずること無きなり。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

瑜伽師地論 第三十四巻(59)

次の記事 次の記事

意根が言語文字と相応しないとはどういう意味ですか

ページのトップへ戻る