衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2022年11月26日    土曜日     第3 回の開示 合計3769回の開示

意識はどのように意根を導くべきか

意識と意根が縁とする法は同じであり、意識が了別するものは必ず意根が攀縁する法でなければならない。そうでなければ意識を生じさせる必要はない。意識が生じるのは意根に奉仕するためであり、意根に従うべきものである。しかし意識が生じて法を了別した後、思惟分析を通じて自らの見解を持つに至り、意根に逆らったり意根の意向に沿わない場合がある。もし意識が正しい知見を持てば、徐々に意根を改めさせることも可能であるが、それは意根がどの程度受け入れるかによる。もし意識が過激すぎれば意根を怒らせ、意根を正道に導くことができなくなる。

したがって意識が聡明であれば巧みに意根を導くが、愚鈍であれば効果がなく逆効果になったり、意根に引きずられたりする。仏教徒の意識は意根に対し次のような態度を持つべきである:「あなたが私を混乱に導いても従わない、貪瞋痴に引きずられても従わない」。そうすれば徐々に意根は手段を失い、逆に意識に導かれるようになる。

意根を禅定に導くには、意識が法を縁することを減らし、了別を控え、思念を止めねばならない。あるいは法を全く縁せず、了別せず、思念しなければよい。そうすれば意根は意識からの反饋を得られず、法を思念しても無益だと悟って動揺を止める。こうして意根は次第に定まってくるのである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

瑜伽師地論第三十四巻(五十八)

次の記事 次の記事

瑜伽師地論 第三十四巻(五十九)

ページのトップへ戻る