原文:また、このような諸有・諸生における増上意楽に対して、深く心に厭離と恐怖を抱き、涅槃に随って生ずるいかなる行いに対しても、深く心から願い楽しむ。彼は長い生死の夜の中で、心に世間の色・声・香・味・触などを愛楽し、これらの色・声・香・味・触などによって苦諦が滋長し積集されてきた。この因縁により、涅槃に対し深く心から願い楽しんではいるが、それに趣入することはできず、清浄を証得することもできず、安住することもできず、勝解することもできない。その心は寂静の境界から退転する。深く心に希求と仰ぎの念を生じることができなかったため、疑いの念があるためである。その心は繰り返し厭離と驚き恐怖を抱く。一切の苦諦・集諦の二諦に対しては、数度にわたり深く心に厭離と驚き恐怖を抱き、また涅槃に対しても数度にわたり深く心から願い楽しむことを起こすが、なお深く心を込めて趣入することはできない。
釈:さらに、以上述べたこれらの諸有・諸生の死の法に対する増上意楽について、心の奥底から厭離と恐怖を生じ、涅槃によって生じるいかなる行いに対しても、心の奥底から願い楽しむ心を持つ。修行者は生死の長い夜の中で、心が世間における色・声・香・味・触などの法を愛楽し、これらの色・声・香・味・触などの法によって苦諦が滋長・積集されてきた。
この因縁により、現在は深く心から涅槃を願い楽しむことができても、涅槃に趣入することはできず、清浄な法眼を証得することもできず、四聖諦に安住することもできず、四聖諦を勝解することもできない。その心は寂静の境界から退転してしまう。なぜなら、心の奥底から涅槃に対する希求と敬慕の念を生じさせることができなかったからであり、心に疑いの念があるからである。こうして繰り返し生死に厭離と恐怖を抱くことになる。このような者は、一切の苦諦と集諦の修習において、たびたび深く心に生死への厭離と驚き恐怖を抱き、涅槃に対してはたびたび深い心からの願い楽しむ心を起こすが、それでもなお深く心を込めて涅槃に趣入することはできないのである。
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