衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年11月26日    土曜日     第1開示 合計3767開示

瑜伽師地論 第三十四巻(五十七)

原文:この智によって故に、無常を了知し、無常無辺際の勝解を発起する。このように苦などを了知し、苦無辺際の勝解を発起する。空・無我無辺際の勝解を発起する。悪行無辺際の勝解を発起する。悪趣に往く無辺際の勝解を発起する。興衰無辺際の勝解を発起する。及び老病死愁悲憂苦、一切の擾悩無辺際の勝解を発起する。

釈:無辺際智があるが故に、諸行の無常を了知し、無常の法に対する無辺際の勝解を発起する。このように苦・空・無常・無我などを了知したならば、苦無辺際の勝解、空・無我無辺際の勝解、悪行無辺際の勝解、悪趣に往く無辺際の勝解、興衰無辺際の勝解、並びに老病死憂悲苦悩の一切の擾悩無辺際の勝解を発起するのである。

原文:ここで無辺際とは、生死流転を謂う。かくの如き諸法は辺際が無く、生死流転が絶えず、常にこのように説かれた諸法がある。ただ生死のみが余すところなく息滅する。この息滅すべきものには、更に余の息滅方便は無い。即ちこの如き諸有・諸趣の死生の法の中で、願無き行、依る所無き行、深く厭離する行によって、勝解を発起し、精勤して勝解作意を修習する。

釈:無辺際の意味は、生死流転というような諸法が辺際無く、生死流転が断絶しないことである。以上説かれた諸法は常にあるが、ただ生死のみが息滅し余すところが無い。この息滅すべき法には、更に他の息滅方便法は無い。このような三有や六趣の生死の法の中で、願無き行、依る所無き行、深く厭離する行によって、勝解を発起し、精勤に勝解作意を修習するのである。

——生如法師の開示
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瑜伽師地論 第三十四巻(五十八)

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