衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2022年11月25日    金曜日     第3 回の開示 合計3766回の開示

意根と意識はなぜ互いに心意を通じ合わせることができるのでしょうか

例えば、意根が食事を欲すると、如来蔵は意根の意に従い、意識を生じさせます。意根は意識に眼前の様々な料理を了別するよう伝え、その中から好みのものを選択させます。意識は意根の心思を領会し、了別後には意根もまた意識の心思を理解します。両者は刹那的に相互に通じ合うことが可能です。しかし、意根が前世の法を了別して意識に伝えても、意識はそれを領会できず、あるいは僅かに明らかにするのみです。これはなぜでしょうか。前世の意識が経験しておらず、記憶もないため、了別を加えることができないからです。

意根は各種の料理を了別して選択を決定するため、意識は意根に代わって了別を行います。意識が各料理の特徴を了別判断した後、意根に伝えると、意根はそれを了知して食事を決定します。ある場合には、意識が眼識と共に観察するだけでは完全な了別ができず、意根が試食を決断することもあります。この時、舌識と鼻識が共同で了別判断に参与し、意根が了知した後、美味しいものと好みのものを選択して摂取し、好ましくないものは無視します。

これらの料理は意識と五識が共に現前に触れることができるため、受想思が生じ、判断を下すことが可能です。前世の法については、神通がなければ五識は全く触れることができず、意識も他心通がなく経験も不足しているため、意根の心中の思惟を了知できません。もし意識が大智慧を備えていれば、意根の心中の思惟と暗示する法を明瞭に了別できるでしょう。

意識と意根がなぜ相互に心意を通じ合えるのでしょうか。意根が法境に触れて意識を生じ、三者が和合して触れるためです。法境については、意根だけでなく意識も了別可能ですが、その程度と明瞭さに差があります。この過程において、意識と意根は常に相互に触れ合い、心と心が接触するため、当然ながら相互の心意を了知できるのです。その程度には深さと範囲の差があります。意識が存在する限り、必ず意根と接触しているため、各自の心意は随時伝達と交流が可能です。交流が円滑でない場合は心理的齟齬が生じ、円滑であれば心情は愉快となります。これは二人の人間の交際関係にやや類似しています。

——生如法師の開示
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