原文:かの因縁によって、今自体の差別が生起する。自在天の変化を因とすべきではない。なぜならば、もし自在天の変化を因として諸行を生ずると説くならば、この生じた諸行は、ただその自在天を縁とするのみか、あるいは他の縁を待つのか。このように自在天が変化するためには、ただその自在天を縁とするのみであるならば、諸行とその自在天はともに本来存在すべきものである。何故さらに生ずる必要があろうか。
釈:種々の因縁によって、今様々な諸行の自体差別が現れている。諸行の自体差別の出現は、自在天の変化を原因とすべきではない。なぜこのように言うのかというと、もし自在天の変化が諸行を生じる因であると説くならば、この因によって生じた諸行は、ただ自らの自在を縁とするのか、それとも他の縁を必要とするのか。もしただ自らの自在を縁とするのであれば、諸行とその自在は本来存在すべきものであり、既に本来存在するのであれば、再び生じる必要があろうか。
原文:もし自在天の体性が先に存在し、その後で諸行が生じると言うならば、この諸行はただ自在天を縁として生じたものではない。もし自在天がその欲する所に随って功徳を発揮し、祈願によって初めて造化を為すと言うならば、この場合も欲を因縁として用いるのであって、ただ自在天のみによるのではない。もしそうであるならば、この欲には因があるのか、それとも無因なのか。もし因があると言うならば、自在天を以て因とするのであれば、これは先に述べた過失と同じであり、道理に適わない。もしこの欲にさらに他の因があると言うならば、欲の功徳や祈願のように、自在天を離れた他の法を因とするのであるならば、このように一切の諸行も皆他の法を以て因とすべきである。どうして虚妄に自在天を計らう必要があろうか。
釈:もし元来より自在天の体性が存在し、その後で諸行が生じたと言うならば、このような諸行はただ自在天を縁として生じたものではない。もし自在天がその欲する所に随い、その機能作用は乞い求め発願することによって初めて諸行を造化すると言うならば、諸行は欲を因縁として生じたものであり、ただ自在天のみを縁とするのではない。この場合、この欲は因を持つのか無因で現れるのか。もし因があると言い、自在天を因とするならば、これは従来の説と同じ過失を有し、理に合わない。もしこの欲の現れに他の因があると言うならば、それは欲の功徳が祈願によって実現されるように、自在天を離れた他の法を生起の因とするということである。もしそうであるならば、一切の諸行は他の法を以て生起の因とするべきであり、どうして虚妄に自在天を因と考える必要があろうか。
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