原文:これは変異生起の因縁であって、諸行が滅壊する因縁ではない。なぜならば、それらの諸行は、世間に現に見られる滅壊因縁とともに滅び去った後、再び類似のものが生起することはありえず、一切が全く生起しないわけではないからである。ある諸行は滅び去った後、一切の生起が全く見られなくなることがある。例えば湯を沸かすように、最後には一切がことごとく消え尽きる。災いの火が器世間を焼き尽くした後には、灰燼すら残らず、影さえも見出せない。これもまた因縁によって、次第に次第に転変し、漸減して尽きるが故に、最後には一切が全く存在しなくなるのである。このことは火がそのように為すことによるのではない。したがって変異は、前に説かれた八種の因縁によって生起し、自然に滅壊するのである。
解釈:これは諸行が変異する現象が生起する因縁であって、諸行が滅壊する因縁ではない。なぜそう言えるのか。諸行と世間に現に見られる滅壊因縁がともに滅び去った後、決して再び類似の法が生起しないという現象から明らかであるが、すべての法が生起しなくなるわけではない。ある諸行が滅び去った後は、一切の法が全く生起しなくなる場合がある。例えば湯を沸かすと、沸かせば沸かすほど減り、ついには水がすべて消え失せるように。
また、三災における火災が器世間を焼き尽くした後は、灰燼すら存在せず、影さえ見えなくなる。これもまた因縁が絶えず変異し、諸行を次第に減少させ、ついにはことごとく滅尽するが故に、最後には一切の法が存在しなくなるのである。器世間がことごとく滅尽するのは、火災の故によるものではなく、滅尽するのである。したがって諸行の変異は、前述した八種の因縁によって変異現象が生起し、諸行が自然に滅壊すると説くのである。
諸行が生起する因縁は法の変異であって、法の滅壊ではない。滅壊した後には法は存在せず、諸行も存在しない。諸行の滅壊はすなわち無常と苦を表すのである。
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