第八識は一切の法を見ることができ、意根も第八識に従って一切の法を見ることができる。しかし、意根と第八識が見る一切の法の相は異なり、見る内容に差がある。第八識が見るのは非世俗の相であり、意根が見るのは世俗の法相である。意根は第八識の見分に依って一切の法を見た後、これら一切の法がすべて我であり、すべて我の所有であると考えてしまう。これが我見であり、人我見と法我見を含む。
このような我見があるため、意根はこれら一切の法を執着して離れず、広く計度して執着する。したがって、意根はまた遍計所執識でもある。衆生は皆、まず我見があり、後に我執が生じる。意根は無明のため、一切の法がすべて第八識によって生じ、すべて第八識に帰属し、すべて第八識の属性を持つことを理解できず、第八識に依って一切の法を見た後、一切の法がすべて自己のものであり、自己に帰属すると誤解してしまう。この誤解は無始劫以前から現在まで続いており、もし観行によってこの誤解を消除しなければ、我見を断つことはできず、生死の苦を滅することはできず、輪廻は止むことはない。
0
+1