原文:異なる縁が会遇するとは、楽受の触に縁づく場合、楽受を受けるべき時に苦受の触に遇うこと。苦受の触に縁づき、苦受を受けるべき時に楽受の触に遇うこと。不苦不楽受の触に縁づき、不苦不楽受を受けるべき時に楽受の触、あるいは苦受の触に遇うこと。また貪りある者が瞋恚に会遇し、貪りの煩悩の纏縛が止滅する縁によって、瞋恚の煩悩の纏縛が起こること。これと同様に、瞋恚ある者や愚痴ある者が異なる分の煩悩生起の縁に遇うこともまた同様である。このように眼識が正しく現前する時に、声・香・味・触などの境に遇うことを、八種の変異因緣と名づく。一切の有色の法及び無色の法のすべての変異は、皆このような八種の因縁による。これを除いて他に過ぎたるものも増えたるものも存在しない。
釈:異縁会遇とは、楽受の触に縁づく場合、本来楽受を受けるべき時に苦受の触に遇うことであり、苦受の触に縁づく場合、本来苦受を受けるべき時に楽受の触に遇うことであり、不苦不楽受の触に縁づく場合、本来不苦不楽受を受けるべき時に楽受の触あるいは苦受の触に遇うことである。さらに貪りのある者が瞋恚の縁に遇い、貪りの煩悩の纏縛が止滅する縁によって瞋恚の煩悩の纏縛が生起するように、瞋恚や愚痴のある者が非瞋非痴の煩悩生起の縁に遇うことも同様である。同様に、眼識が現前する時には声・香・味・触の境の縁に遇う。これが八種の変異因縁である。一切の有色の法と無色の法の全ての変異は、この八種の因縁によって生じる。これ以外に何らかの過剰なものや追加されるものは存在しない。
ここで「異」とは変化を意味し、遇する縁が変化すれば、因が変化し果もまた変化する。因縁の変異は大別してこの八種に分かれるが、細分すれば数多く存在し得る。縁が変化する故に無常であり、果が変化する故にまた無常である。因縁の変異によって無常が完全かつ充分に顕現されるのである。
1
+1