衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2022年09月07日    水曜日     第1 回の開示 合計3672回の開示

我慢は障道の因縁であります

瑜伽師地論第三十四巻

原文:彼には未だ現観を障げる粗品の我慢あり。作意に随入して間無間に転ず。かくの如くに思惟す、我は生死において曾て久しく流转せり。我は生死において当に復た流转すべし。我は涅槃において当に能く趣入すべし。我は涅槃のために諸の善法を修す。我は能く苦を観じて真実は苦なり。我は能く集を観じて真実は集なり。我は能く滅を観じて真実は滅なり。我は能く道を観じて真実は道なり。我は能く空を観じて真実は空なり。我は無願を観じて真に無願なり。我は無相を観じて真に無相なり。是の如き諸法は我の所有なり。此の因縁によって、涅槃に深心を願楽すと雖も、然も心は彼に趣入する能わず。彼は既に了知す、此の如き我慢は障碍なりと。便ち能く速やかに慧を以て通達す。

釈:何故深く生死を厭怖し涅槃を願楽しながら、涅槃に趣入できず、甚だしきに至っては涅槃の法を勝解し安住することもできないのか。行者には未だ現量観行を障げる粗い我慢が存在し、観行が深まるに従って有間あるいは無間に作意が生じ、心に次の如く思惟する:我は永劫にわたり生死を流转してきた;我は生死において更に流转を続ける;我は将来涅槃に趣入するであろう;我は涅槃のために諸々の善法を修する;我は苦諦が真実に苦であると観じられる;我は集諦が真実に集起すると観じられる;我は滅諦が真実に滅すると観じられる;我は道諦が真実の道であると観じられる;我は空が真実に空であると観じられる;我は無願が真に無願であると観じ、我は無相が真に無相であると観じる;此の如き諸法は我が所有するものである。

行者が此等の観念を心に有するが故に、涅槃に対し深く愛楽するものの、心は涅槃に趣入することができず、粗重な我慢が遮障として作用するためである。行者が此等の我慢が涅槃趣入の障碍であることを了知すれば、速やかに智慧を通達し、我慢の遮障を除去して涅槃に趣入し得る。

細心に体会すべきは、何が我慢か、我慢の本質は何か、何故我慢が生じるか、どのような現象が我慢を現わすか、我慢の表現と相状は如何なるものか、我慢が如何にして道を障げるか、如何にして我慢を降伏させるか。

——生如法師の開示
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