衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2022年08月31日    水曜日     第1 回の開示 合計3671回の開示

定慧と気脈の関係

総じて、中脈を通すことで開悟できる、あるいは中脈を通せば自然に開悟すると言う人がいます。これらの説は正しくありません。中脈の通達と開悟見道には必然的な関係はありませんが、見道が気脈と無関係とは言えません。では気脈と見道の間にはどのような関係があるのでしょうか。修行は色身を離れず、色身を十分に活用し、色身の障害を取り除けば、見道が容易になります。見道は定慧が具足した産物であり、定慧の発生は色身の四大調和を離れません。四大が調和すればするほど、色身は無礙となり、定力は強まり、心は集中し、思考力は増し、智慧が深まります。

身体の気脈運行は三種類に分かれます:身体前面の任脈、背面の督脈、そして前後中央の中脈です。前面の任脈が通じず詰まると、内臓器官に常に病障が生じます。心が入定する時、気脈が詰まると内臓に痛覚が生じ、心は直ちに痛覚に分散され、定力が消失し、参禅と観行が中断されます。背面の督脈が通じない場合、背中全体から後頭部や頭頂にかけて痛みや苦しみが生じ、激しく痛むと出定し、参禅観行が中断されます。たとえ中断されなくても精力が分散し、慧力が弱まります。ただし背中の痛みは内臓の痛みより耐えやすく、定力の減退も少ないため、督脈の閉塞は任脈の閉塞よりましです。

深く入定し、禅定を安定させ、観行と参禅を効果的に行うためには、任脈を通す必要があります。督脈もできれば通した方が良く、最悪でも深刻な閉塞があってはなりません。中脈は通す必要はありません。心が清浄になり、頻繁に入定できるようになると、気脈運行も円滑になり、四大が比較的調和し、身体の大きな病気は排除され、禅定と観行に影響する要因は次第に除去されます。身体の気脈が通じ詰まりがなくなると、容易に忘身でき、身体に意識を分散させず、この時禅定は深まり、全ての精力を思考参究に用いることができ、智慧が急速に増長します。

定慧と気脈の関係を理解したら、日々の修学過程において身体の障害を極力排除し、健康を保ち気脈を通じさせれば、定慧は絶えず増長し、最終的に見道に至ることができます。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

脳内補完とは何でしょうか

次の記事 次の記事

我慢は障道の因縁であります

ページのトップへ戻る