総じて、中脈を打通して初めて悟りが開ける、あるいは中脈を打通すれば自然に悟りが開けると言う人がいます。これらの説は正しくありません。中脈が通ることと悟りを開き見道することには必然的な関係はありませんが、見道が気脈と無関係というわけでもありません。では、気脈と見道の間にはどのような関係があるのでしょうか。修行は色身を離れては成り立ちません。色身を十分に活用し、色身の障害を取り除けば、見道しやすくなります。見道とは禅定と智慧が具足した結果であり、禅定と智慧の生起は色身の四大調和を離れてはありえません。四大が調和すればするほど、色身は無碍となり、禅定力は強まり、心はより集中し、思考力は高まり、智慧が増していくのです。
身体の気脈の運行は三種類に分けられます:身体前面の任脈、背面の督脈、そして身体の前後中央を通る中脈です。前面の任脈が通らず詰まると、内臓器官に常に病障が生じます。心が禅定に入った時、気脈が詰まると内臓に痛覚が生じ、心はすぐにその痛みに引き離され、禅定力は消失し、参禅や観行は中断されます。背面の督脈が通らないと、背中全体から後頸部、頭頂にかけて痛みや不快感が生じます。痛みが激しくなると禅定から離れ、参禅や観行は中断され、たとえ中断されなくても精力が分散し、慧力(智慧の力)は弱まります。しかし、背中の痛みは内臓の痛みより耐えやすく、禅定力の減退も少ないため、督脈の詰まりは任脈の詰まりよりましと言えます。
深く禅定に入り、禅定を安定させ、観行や参禅の力を得るためには、任脈を通すことが必須です。督脈もできれば打通し、最低でも深刻な詰まりがない状態にすべきです。中脈は通す必要はありません。心が清浄になり、頻繁に禅定に入れるようになると、気脈の運行もスムーズになり、四大は比較的調和し、身体の大きな病気は排除され、禅定や観行に影響する要因は次第に取り除かれていきます。身体の気脈が通じ詰まりがなくなると、忘身(身体を忘れること)が容易になり、身体に気を取られることがなくなります。この時、禅定は深まり、全ての精力を思考や参究(真理を探究すること)に注げるようになり、智慧は急速に成長します。
禅定・智慧と気脈の関係を理解したならば、普段の修行・学道の過程において、身体の障害をできる限り排除し、身体を健康に保ち、気脈を通じさせるよう努めれば、禅定と智慧は絶えず成長し、最終的に見道に至ることができるのです。
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