問:日想観を修めるには、一日24時間映像が消えない状態にまで修めなければ、次第に後の観想に進むことはできないのでしょうか。
答:観無量寿経十六観の各観は、三昧が現れた後に初めて観行が完成したと見做され、その後次の観行に進むことができます。第一観の日想観では三昧、すなわち落日三昧を修得し、心の中の落日相が途切れることなく現前し、身心ともに禅定の状態に入り、煩悩や雑念がなく、睡眠時以外は常に定中にある状態に至って初めて日想観の三昧が成就し、第二観に移行できます。いかなる法を修め、いかなる道を証する場合も、禅定や智慧を含め、三昧が現れなければ修証成就とは見做されません。三昧が現れる前後の期間は、睡眠も深くならず、雑夢や乱夢がなく、心にある程度の清明さを保ち、睡眠は少なく軽く、昏沈することはありません。浅い睡眠では映像が存在すべきですが、深い睡眠では消失します。
当グループで日想観を修めて三年経ちましょうか?未だに一人も達成できていません。これは最も簡単な観行であるにも関わらず、修行がいかに容易でないかを示しています。特に我見を断つことや明心見性といった大智慧の成就は、なおさら容易なことではありません。観無量寿経の十六観は、第三観を成就して初めて命終時に極楽往生が保証され、第七観を修めて初めて明心開悟します。三年間で第一観を修めた者もいない状況で、第三観や第七観の成就は何年何月を要するのでしょうか。前世で既に修行を積み、成就者となった者でなければ、今生で多少容易になる場合を除き、修行はそれほど簡単なことではないのです。
5
+1