衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年06月28日    火曜日     第1開示 合計3651開示

四正勤の修行(四)

瑜伽師地論第二十九巻(四)

原文:また或る悪不善の法は、ただ分別の力によって生じ、境界の力によるのではない。或る悪不善の法は、分別の力によって生じ、また境界の力による。ただ分別の力によって生じ、境界の力によるのではないとは、住時にあって過去・未来の境界を思惟し、それによって生ずるものをいう。これらは思惟の力によって生ずる。また境界の力によるとは、行時にあって現在の境界を縁として生ずるものをいう。この時には、決定して非理なる分別もあることを知るべきである。ここにおいて、悪不善の法がただ分別の力によって生じ、境界の力によるのではないものは、それが未だ生じていないならば生じさせず、生じた後は断つことができる。これを策励という。分別の力によって生じ、また境界の力によるものは、それが未だ生じていないならば生じさせず、生じた後も断つことができる。これを発勤精進という。

釈:ある悪不善の法は、ただ分別の力によって生じ、境界によって生じるのではない。分別の力とは意識の分別性であり、また意根の習気に随順した結果でもある。現前の六塵境界の熏染を受けず、境界は悪不善法がすでに生じることを推動する力を持たない。なぜなら意根固有の習気の力が強いからである。ある悪不善の法は、意識の分別力によって生み出されるだけでなく、六塵境界の熏染の力によっても生み出される。

ただ分別の力によって生じ、境界の熏染によって生じない悪不善の法とは、現前の法に住しながら過去と未来の境界を思惟し、それによって悪不善法が生じることを指す。このような悪不善法は、主に意根の煩悩習気によって生み出される。分別の力によって生じるだけでなく、境界の熏染によっても生じる悪不善の法とは、身・口・意が運行する時に、現在の境界を縁として悪不善法が生じることを指す。身・口・意が運行する時には、六識の分別力だけでなく、現前の境界の熏染も受ける。なぜならこの時、境界が推動作用を及ぼすだけでなく、決定して非如理分別もあるからである。これは意根の煩悩習気と現前の境界の熏染が共同して生み出す悪不善法である。

ここから知ることができる。悪不善法がただ分別の力によって生じ、境界力の熏染を受けないものは、もしまだ生じていないならば生じさせず、生じた後は断滅させることができる。これを策励という。分別の力によって生じ、同時に境界の熏染力によっても生み出される悪不善の法は、これらの法がまだ生じていない時に生じさせず、たとえ生じた後でも断除することができる。これを発勤精進という。

回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界の平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が興らず、干戈が永遠に止み、一切の災害がことごとく消退することを祈ります。各国の人民が団結して助け合い、慈しみの心をもって相い向かい合い、風雨順調で国泰民安であることを祈ります。一切の衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根が増長し、苦を知って集を断ち、滅を慕って道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを願います。仏教が永遠に興隆し、正法が永く住することを祈願します。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならしめんことを!

——生如法師の開示
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