衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年06月26日    日曜日     第1開示 合計3650開示

四正勤の修行(三)

瑜伽師地論第二十九巻(三)

原文:また、それら一切の悪不善法は、あるいは過去の事を縁として生じ、あるいは未来の事を縁として生じ、あるいは現在の事を縁として生ずる。かくの如く、それらの法は、あるいは現に見えぬ境を縁とし、あるいは現に見える境を縁とする。もし過去・未来の事の境を縁とするならば、これを縁不現見境と名づける。もし現在の事の境を縁とするならば、これを縁現見境と名づける。

釈:すべての一切の悪不善法は、あるいは過去の事柄を縁として生まれ、あるいは未来の事柄を縁として生まれ、あるいは現在の事柄を縁として生まれる。それ故に悪不善法は、あるいは現前に見えない境界を縁とし、あるいは現前に見える境界を縁とする。もし過去と未来の境界を縁とするならば、縁不現見境(現前に見えない境界を縁とすること)と呼ばれ、もし現在に現れている境界を縁とするならば、縁現見境(現前に見える境界を縁とすること)と呼ばれる。

原文:当に知るべし、ここにおいて、縁不現見境に対し、悪不善法の未だ生じざるものは、生ぜしめざらんことを欲し、その已に生じたるものは、永く断たんことを欲して、自ら策励し自ら励ます。これを策励と名づく。縁現見境に対し、悪不善法の未だ生じざるものは、生ぜしめざらんことを欲し、その已に生じたるものは永く断たんことを欲して、勇猛に正しく勤める。これを発勤精進と名づく。所以は何ぞや。まさに堅固に自ら策励し自ら励まし、勇猛に正しく勤めなければ、能く彼をして或は復た生ぜず、或は永く断滅せしむることを得るが故なり。

釈:そして、縁不現見境(現前に見えない境界を縁とすること)に対しては、もし悪不善法がまだ生じていない時には、必ず悪不善法を生じさせないようにし、もし悪不善法がすでに生じている時には、必ず悪不善法を永遠に断滅せしめるべく、これによって自らを鞭撻し、自らを励ます。これを策励と言う。縁現見境(現前に見える境界を縁とすること)に対しては、もし悪不善法がまだ生じていない時には、必ずそれを生じさせず、もし悪不善法がすでに生じている時には、必ずそれを永遠に断滅せしめるべく、このように勇猛精進に修行することを、発勤精進(奮発して勤め精進すること)と言う。なぜこのように精進するのか。これは、心を堅固に自ら策励し自ら励まし、勇猛精進することによってのみ、悪不善法を再び生じさせないか、あるいは永遠に断滅して現れなくせしめることができるからである。

原文:また、下品・中品の諸纏(煩悩の纏縛)に対し、その未だ生じざるものは生ぜしめざらんことを欲し、その已に生じたるものは永く断たんことを欲して、故に自ら策励す。上品の纏に対し、その未だ生じざるものは生ぜしめざらんことを欲し、その已に生じたるものは永く断たんことを欲して、発勤精進す。また、もし過去の境界を行ずるに、かくの如く行ずる時、煩悩をして彼に縁って生起せしめず。設い復た失念して、暫時生起するも、而も忍受せず、速やかに能く断滅し、除遣し変吐(取り除き吐き出す)す。過去を縁とするが如く、もし未来を行ずるも、当に知るべし、また同じ。かくの如く未生の悪不善法を能くして生ぜしめず、已に生じたるものは能く断つ。これを策励と名づく。

釈:下品および中品のすべての煩悩の纏縛(煩悩による束縛)に対しては、もしまだ生じていないならば、必ずそれを生じさせず、すでに生じているならば、必ずそれを永遠に断滅せしめるべく、自らを策励する。上品の煩悩の纏縛に対しては、もしまだ生じていないならば、必ずそれを生じさせず、すでに生じているならば、必ず永遠に滅除せしめるべく、それゆえに勤勉に精進する。

もし心が過去の境界を縁とするならば、正に過去の境界を縁想している時、煩悩が過去の境界によって生起するのを許してはならない。仮に心が正念を失い、煩悩の出現に気づかずとも、いったん煩悩が生じたことに気づけば、それ以上煩悩が続くのを容認せず、速やかに滅除し、除遣し(取り除き)、剔除(吐き出し)することができる。もし心が未来の境界を縁とするならば、過去の境界を縁とする場合と同様に扱わなければならない。このようにしてまだ生じていない悪不善法を生じさせず、すでに生じたものは速やかに断つことを可能にする。これを策励と言う。

原文:もし現在の所縁境界を行ずるに、かくの如く行ずる時、煩悩をして彼に縁って生起せしめず。設い復た失念して、暫時生起するも、而も忍受せず、速やかに能く断滅し、除遣し変吐す。かくの如く未生の悪不善法をして生ぜしめず、已に生起せるものは、生じたる已に能く断つ。これを発勤精進と名づく。

釈:もし心が現在現前に見える境界を縁とするならば、現前の境界の中を運行している時に、煩悩が現在の境界によって生起するのを許してはならない。もし不注意にも正念を失い、煩悩が一時的に生じたならば、いったん気づけば、その継続を容認せず、迅速に断滅し、除遣(取り除き)剔除(吐き出し)する。このようにしてまだ生じていない悪不善法を生じさせず、すでに生じた悪不善法は、生じた後、煩悩が生じ次第にそれを断つことを可能にする。これを発勤精進(勤勉に精進すること)と言う。

以上のように勇猛精進して四正勤(四つの正しい努力)を修行し、自ら策励し自ら励まし続ければ、煩悩は間もなく除遣され、煩悩が除遣された後、心が清浄になって初めて見道(真理を悟る段階)し、智慧による解脱を得ることができる。もし煩悩の纏縛に対する害をまだ悟ることができず、煩悩の氾濫を放任するならば、輪廻の苦悩の災いは除かれず、見道して聖者を証する道は開かれない。これによって知る、煩悩を断たずして菩提(悟り)を証することは、決してありえない。

回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法(仏法を広めること)と共修(共に修行すること)の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向します。祈願します、世界が平和で、戦争が起こらず、烽火(戦火)が興らず、干戈(武器)が永遠に止み、一切の災害がことごとく消退することを。祈願します、各国の人民が団結し助け合い、慈しみの心をもって互いに接し、風雨順調で、国が泰(安)らかで民が安らかであることを。願わくは、一切衆生が因果を深く信じ、慈しみの心をもって殺生せず、広く善き縁を結び、広く善き業を修め、仏を信じ仏を学び、善根を増長し、苦を知って集(苦の原因)を断ち、滅(苦の滅)を慕い道を修め、悪趣(悪しき生存状態)の門を閉ざし、涅槃の道を開くことを。祈願します、仏教が永遠に興隆し、正法が永遠に住み、三界(迷いの世界)の火宅(燃える家)を変じて極楽の蓮邦(浄土)となすことを。

——生如法師の開示
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