瑜伽師地論第二十九巻(四)
原文:また或る悪不善の法は、ただ分別の力によって生じ、境界の力によるのではない。或る悪不善の法は、分別の力によって生じ、また境界の力による。ただ分別の力によって生じ、境界の力によるのではないとは、住時に於いて過去未来の境界を思惟し、それによって生ずることをいう。思惟の力によって生じ、また境界の力によるとは、行時に於いて現在の境界を縁として生ずることをいう。その時には、必ず非理なる分別も存在する。ここに知るべきは、悪不善の法がただ分別の力によって生じ、境界の力によるのではないものは、それが未だ生じない時には生じさせず、既に生じた後は断つことができる。これを策励という。分別の力によって生じ、また境界の力によるものは、それが未だ生じない時には生じさせず、既に生じた後も断つことができる。これを発勤精進という。
釈:ある悪不善法は、ただ分別力によって生じ、境界によって生じるのではない。分別力とは意識の分別性であり、また意根の習気に随順した結果であって、現前の六塵境界の影響を受けず、境界が悪不善法を生じさせる力を持たない。これは意根固有の習気の力が強いためである。ある悪不善法は意識の分別力によって生じるだけでなく、六塵境界の影響力によっても生じる。
ただ分別力によって生じ、境界の影響を受けない悪不善法とは、現前の法に住しながら過去と未来の境界を思惟し、それによって悪不善法が生じることを指す。このような悪不善法は主に意根の煩悩習気によって生じる。分別力だけでなく境界の影響によっても生じる悪不善法とは、身口意が運行する際に現在の境界を縁として悪不善法が生じることを指す。身口意の運行時には六識の分別力だけでなく、現前の境界の影響も受ける。この時には境界が推進力となるだけでなく、必ず非理なる分別も存在する。これは意根の煩悩習気と現前境界の影響が共同して生じる悪不善法である。
ここに知るべきは、悪不善法がただ分別力によって生じ境界力の影響を受けないものは、未だ生じていないならば生じさせず、既に生じた後は断滅させることができる。これを策励という。分別力によって生じ、同時に境界の影響力によっても生じる悪不善法は、これらの法が未だ生じていない時には生じさせず、既に生じた後も断除できる。これを発勤精進という。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災害ことごとく消退せんことを。各国人民が団結互助し、慈心をもって相向かい、風雨時に順い、国泰民安なることを祈願します。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教が永く興隆し、正法が永住し、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを祈願します。
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