悪という煩悩は比較的粗重で、その現れ方が顕著であり、本来あるべきではないものであるため、自己にも他者にも容認しがたいものである。不善の煩悩はやや軽微で、誰もが頻繁に生じるものであり、人々はある程度の許容度を持っている。衆生は悪不善法多く善法少ないため、不善を正常な現象と感じてしまう。しかし衆生は知らないのだ、人々が常識と考える全ての現象こそが実は異常であり、本来発生すべきではないものであることを。人々が不善を常態と見なすことは、衆生が皆不善法を有し、心が清浄でないことを示している。悪不善法を容認すればするほど、人心の善法は減少する。衆生の容忍と諸仏菩薩の容忍は全く異なり、諸仏菩薩の容忍は智慧と慈悲の体現であるが、衆生の容忍は煩悩の現れである。多くの者が身口意に不善の行いをしている時、それを指摘されれば皆不快に思い、慚愧の心を持たない。
回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳をもって、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向し、世界の平和を祈願し、戦争の起こらぬことを;烽火の興らず、干戈永遠に止むことを;一切の災難、ことごとく消退することを!各国人民の団結互助を祈願し、慈心をもって相対することを;風雨順調で、国家安泰、国民平和であることを!一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず;広く善縁を結び、広く善業を修め;仏を信じ仏を学び、善根を増長し;苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め;悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開くことを!仏教が永く興隆し、正法が永住することを祈願し;三界の火宅を変じて極楽の蓮邦となることを!
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