衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年06月24日    金曜日     第1開示 合計3648開示

四正勤の修行(二)

瑜伽師地論第二十九巻(二)

原文:いかなるものを一切の善法と名づく。謂わく、若し彼の対治、若しくは蓋の対治、若しくは結の対治。未生・已生は、前に知るべしが如し。悪不善法が未だ生ぜざる時、悪不善法は先に未だ和合せず。生ぜしめざらんが為に、希願を発起す。我は当に彼の一切一切を復た生ぜしめざらん。是れを諸の未生の悪不善法に於いて、生ぜざらしめんが為に欲を生ずと名づく。

釈:いかなるものが一切の善法と言えるのか。善法とは悪法への対治であり、悪法に相反し、悪法を降伏させる法を善法と名づける。例えば煩悩の蓋障への対治、煩悩の結縛への対治がこれにあたる。善が生じれば悪は滅する。あたかも太陽が昇って暗闇を追い払い、暗闇が消滅するが如し。もし悪法が消失すれば、もはや善法で対治する必要はない。心が清浄となった後は不善でも悪でもなく、善を行じてもそれは有為法であり生死の業である。心が清浄ならば業はなく、大寂静を得、大涅槃を得る。

善法をもって悪法を対治することは、四正勤の修習である。未生の悪は生じさせず、已生の悪は断滅させる。悪不善法が生起する因縁条件が未だ具足しない時、悪不善を生じさせない為に、心中に希求と願いが発起する。悪不善法が再び生起しないことを願うのである。例えば、もう二度と嫉妬しない、盗まない、妄語しない、殺生しない、人を陥れない、などと願うことである。これを未だ生じていない悪不善法に対し、生じさせない為に希冀と欲望を発起すると言う。

原文:若し時に已生の悪不善法が先に已に和合せり。断ぜしめんが為に希願を発起す。我は当に彼の一切一切に於いて皆な忍受せず。断滅し除遣せん。是れを諸の已生の悪不善法に於いて、断ぜしめんが為に欲を生ずと名づく。

釈:もしこの時、悪不善法が生起する因縁が和合し、すでに悪不善法が生じたならば、悪不善法を断滅させる為に希求と願いを発起する。一切の悪不善法をこれ以上一切容認しないと決心し、一切の悪不善法を断滅・除遣して心を善へと変えようと願う。これを已に生じた悪不善法に対し、断滅させる為に希冀と欲望を生じたと言う。

以上に発した願いは全て善願である。ただ覚った者だけがこのように願いを発することができる。自心に悪と煩悩があることを自覚し、悪不善法の悪果・悪報を知り、解脱への障害となることを理解し、かつ何が善で何が悪・不善かを明確に弁えている。もし弁えられなければ自心を覚ることはできず、たとえ願いがあっても意の如く成就することはない。これらの願いは修行の過程で自ずと自覚的に発起するものであり、修行が法に適い効果を表した現れであり、精進の結果である。精進とは心の精進であって、ただ身や口などの表面上だけに取り組むものではない。身口は車の如く、心は車を操る者である。もし車を速く走らせたいならば、当然、操る者を督励し鞭打つべきである。仏法を初めて学ぶ者の多くは身口で精進し功を積む。例えば礼拝や念仏などであるが、まだ心の上で功を積むことはできない。老修行者は自心を観察し、自心を監視し、自心を対治して心に悪を断じ善を修させることを知っている。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける一切の弘法と共修の功徳を以て、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向し、世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く止み、一切の災難尽く消退せんことを祈願する。各国の人民が団結し互助い、慈心をもって相い向かい、風雨順い時を得、国家安泰・民衆安寧ならんことを祈願する。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺さず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ仏法を学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを願う。仏教が永く興隆し、正法が永く住んことを祈願する。三界は火宅の如し、これを極楽の蓮邦となさんことを!

——生如法師の開示
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