衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2022年06月22日    水曜日     第1 回の開示 合計3647回の開示

四正勤の修行(一)

瑜伽師地論 第二十九巻

原文:かくのごとく四念住に於いて串習行ずるが故に。すでに能く粗き転倒を除遣し。すでに能く善不善の法を了達せり。ここより無間にして諸の未生の悪不善法の生ぜざらんが為に。諸の已生の悪不善法の断ぜんが為に。その未生の一切善法の生ぜんが為に。その已生の一切善法の住し忘失せざらんことを欲するが故に。広説すること前に如し。乃至心を摂持し心を護持す。

釈:四念住法を薫習観行した故に、心中の最も粗浅な転倒を除き去った。従前は身を我と計り浄に貪着したが、今は身の不浄無我を知る。従前は苦を楽とし覚受を貪享したが、今は受ことごとく苦なりと知る。従前は心は相続し常なりと認めたが、今は心の無常を知る。従前は五蘊世間法を我と計ったが、今は無我を知る。転倒知見を正し、心はもはや転倒せず。

四念住を修習した後、善法と不善法を了達し得、ここより無間なく四正断の修習に入る。未だ生ぜざる悪不善法を生ぜしめず、已に生じた悪不善法を断除し、未だ生ぜざる一切善法を生ぜしめ、已に生じた一切善法を保持し永く忘失せしめぬ。広説すれば前説の如し。四正断の修習過程において、能く心を摂持し保持し得る。

原文:何をか悪不善法と名づく。謂わく欲纏に染汚せる身語意業。これ身語意の悪行に摂せられ、及び能く彼を起こす所有の煩悩。若し未だ和合せず、未だ現在前にあらざれば、未生と名づく。若し已に和合し、已に現在前にあれば、已生と名づく。

釈:悪不善法とは何か。貪欲の纏縛による身業・口業・意業を指し、身悪行・口悪行・意悪行に属し、五蘊七識を生起させる一切の煩悩をいう。もし身口意の悪不善業が未だ造作されず、悪不善行が現前していなければ未生という。もし身口意の悪不善業が既に和合生起し、悪不善行が現前したならば已生という。

和合とは煩悩と縁が合うことを指す。煩悩が縁に遇えば悪不善業行が現れ、縁に遇わねば煩悩は眠蔵し悪不善業行は現れない。

悪業と不善業には軽重の差がある。悪行は煩悩が重く粗大であることを示し、不善行は煩悩が軽く善悪の中間に位置する。不善行は範囲が広く、悪は人に耐え難き行為を指す。

四正断の修習により、実際の修行過程では必ず不断に煩悩を減軽断除し、心は漸く清浄となる。清浄がある程度に至れば、胎を脱し竜門を躍り、凡夫より聖賢に転ず。もし粗重の煩悩を断ぜねば、依然として具縛の凡夫たる。

回向文:当ネットプラットフォームの全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界平和を祈願し、戦争起こらず。烽火興らず、干戈永く息む。一切の災害ことごとく消退せんことを。各国人民の団結相助け、慈心相向かわんことを祈る。風雨時に順い、国泰く民安んぜんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生を断ち。広く善縁を結び、広く善業を修め。仏を信じ学び、善根を增長せしめんことを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め。悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永興を願い、正法の永住を祈る。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。

——生如法師の開示
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