瑜伽師地論第二十九巻
原文:かくのごとく四念住に於いて行を串習するが故に。已に能く粗き粗き颠倒を除遣し。已に能く善不善の法を了達せり。此より無間にして諸の未生の悪不善法の生ぜざらんことを為し。諸の已生の悪不善法を断ぜんことを為し。其の未生の一切善法を生ぜしめんことを為し。其の已生の一切善法を住せしめんと欲し忘失せざらしむ。広説すること前に如し。乃至心を摂め心を持つ。
釈:四念住の法を観行することを熏習した縁故に、心中の最も粗浅な颠倒を除き遣うことができた。従前は身を我と計り浄を貪着したが、今は身の不浄無我を知る。従前は苦を楽とし覚受を貪享したが、今は受は皆苦なることを知る。従前は心は相続し常なりと認為したが、今は心の無常を知る。従前は五蘊世間法を我と計ったが、今は無我を知る。颠倒の知見を正し、心は再び颠倒せず。
四念住を修習した後、善法と不善法を了達できるようになり、此より無間なく四正勤の修習に入る。未生の悪不善法が生じないようにし、已生の悪不善法を断除し、未生の善法を生じさせ、已生の善法を保持し永遠に忘失しない。広説すれば先述の如し。四正勤の修習過程において、心を摂持し保持できる。
原文:何をか悪不善法と名づく。謂わく欲纏に染汚せる身語意業。是れ身語意の悪行に摂せらる。及び能く彼を起す所有の煩悩。若し未だ和合せず。未だ現在前にあらざれば、未生と名づく。若し已に和合し已に現在前にあれば、已生と名づく。
釈:悪不善法とは何か。貪欲に纏縛された身業・口業・意業を指し、身悪行・口悪行・意悪行に属し、五陰七識のすべての煩悩を生起させるものである。未だ身口意の悪不善業が現れず、悪不善行が未だ生起していなければ未生、既に和合生起し現前していれば已生と称する。
和合とは煩悩が縁と合することを指す。煩悩が縁に遇えば悪不善業行が現れ、縁に遇わなければ煩悩は潜伏し悪不善業行は現れない。
悪業と不善業は軽重の差があり、悪行は煩悩が重く粗く、不善行は煩悩が軽く善悪の中間に位置する。不善行は広範にわたり、悪は耐え難き行為を指す。
四正勤の修習により、実際の修行過程では必ず煩悩を漸減・断除し、心は次第に清浄となる。清浄がある程度に至れば凡夫を転じ聖賢となる。粗重な煩悩を断じなければ、依然として具縛の凡夫である。
回向文:当ネットプラットフォームのすべての弘法と共修の功徳を以て、法界のすべての众生に回向いたします。世界の平和と戦争の消滅を祈願し、烽火起こらず干戈永遠に息み、一切の災害尽く消退せんことを。各国人民が団結相助け慈心を以て相対し、風雨時に順い国泰民安ならんことを。一切众生が因果を深く信じ慈心をもって殺生を断ち、善縁を広く結び善業を修め、仏法を信学し善根を增長せんことを。苦を知り集を断ち滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教の永興と正法の永住を祈願し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。
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