応無所住而生其心とは、一切の縁に応じて一切の縁に住することなくその心を働かせるという意味である。七識が何かに住して心を働かせるとき、第八識は永遠に住することなく働き、どのような縁に遇ってもそうである。六七識が我見を断ち悟りを証した後、無明の煩悩を断除すれば、やはり縁に応じて住することなく働くようになる。これには過程と範囲があり、無明が薄ければ薄いほど煩悩は軽微になり、六七識はより清浄になり、縁が六七識に与える影響は小さくなり、縁に応じてより住することがなくなる。なぜ第八識は縁に応じるとき住することがないのか?第八識は世間の無明煩悩の心ではなく、縁の世間相を知らずまた分別しないため、世間相を執取せず、心は住するところがないのである。
応とは応対の意味であり、生とは無から有が生じる出生の意味ではなく、絶えず運転する意味である。六七識が縁に応じて住することがないようにするには、縁の実質を見破った後でなければ実現できない。より透徹し究竟に見れば見るほど、より住することがなくなる。縁は空であるから、何のために住して煩悩を生じる必要があろうか?何のために執取する必要があろうか?このように見破った後、心が空になれば放下され、世間法の中で運転するときには、用いる心なく、もはや法相を執取せず、世間法があっても無に等しく、心は清く障りがない。無明が重ければ重いほど、世間法をより重視し、心はより住するところがある。
回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳をもって、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向し、世界平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が興らず、武器が永遠に休まることを!あらゆる災難がことごとく消退することを祈願します!各国の人民が団結して助け合い、慈しみの心をもって相対することを祈願します!風雨が順調で、国家は安泰で民は安寧であることを!一切の衆生が因果を深く信じ、慈しみの心をもって殺さず、広く善い縁を結び、広く善い業を修め、仏を信じ仏を学び、善根が増長し、苦を知って集を断ち、滅を慕って道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを!仏教が永遠に興隆し、正法が永遠に住することを祈願します!三界の火宅を極楽の蓮華の国に変えますよう!
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