衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2022年05月24日    火曜日     第1 回の開示 合計3635回の開示

離念霊知と意根の関係

霊とは敏捷で霊動的なものであり、離念とは一時的に思想の念頭を離れることです。このような知には意識的なものもあり、意根的なものもあります。意識が念を離れるのは比較的容易ですが、意根が念を離れるのは相対的に困難ですが、不可能ではありません。なぜ意識が念を離れることができるのでしょうか。まず第一に、意識自体が境界を弁別する欲望を持たず、心に懸念する事柄がないからです。次に、意根にも粗い思想の念がなく、欲望や考えがなく、塵境に縁を攀じないため、意識を動員して思慮や念想を造作することがないのです。

そして意根の特に微細な思想の念は、意識の参与なくして身口意の行いを現じ、意識もこれを発見し参与する力がありません。この時、意根はやや清浄な状態、すなわち禅定の状態、無欲無求の状態にあります。したがって意識が離念の状態にある時は、必ず意根が清浄で禅定の中にあるのであり、禅定の深さや時間の長短に関わりません。

実際この時にもなお微細な念があり、念がなければどうして知があり得ましょうか。ただ境界に対して非常に慣れ親しんだ時、努力して分別しなくても知ることができ、この時の思想活動が極めて微弱であることを離念霊知と呼ぶのです。離念霊知という言葉は仏典に由来するものではなく、仏典には具体的な記述がなく、全て後世の人々が自らの解釈に基づいて提唱した概念で、あまり正確ではありません。これらは非常に深い唯識の教養と観察力を必要として初めて観察し弁別できるものです。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界の平和を祈願し、戦争の起こらぬことを。烽火の興らぬこと、干戈の永く止むことを。一切の災難、ことごとく消退せんことを。各国の人民が団結して助け合い、慈心をもって相対しますよう。風雨順調に、国泰民安であることを。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ仏を学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開きますよう。仏教の永き興隆を祈願し、正法の永住を。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。

——生如法師の開示
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